震災直後、町は浜通りからの避難者受け入れに奔走した。しかし、政府はその後、放射線量が比較的高かった山木屋地区を計画的避難区域に指定すると状況は一変し、同地区からの住民避難が始まった。
2013(平成25)年8月8日には避難指示が居住制限と避難指示解除準備に再編され、除染が完了した区域では営農も可能となった。避難指示が解除されたのは17年3月末だった。
同地区には同年7月、にぎわい創出に向けた復興拠点商業施設「とんやの郷」もオープンした。しかし、地区の今年2月1日現在の居住者は343人にとどまり、震災時の住民(1252人)の半数にも満たない状況が続いている。地区の復興に向けては住民帰還の促進や移住・定住が大きな課題となっている。
銀メッキ導電性繊維の製造、販売を手掛ける「ミツフジ」(京都府)の川俣西部工業団地への進出や、近畿大との連携によるアンスリウムの栽培など、産業や農業の復興も進んでいる。