妻の朋子とは2回籍を入れている。1回目は京都大在学時の26歳、2回目は47歳の時だ。 映像制作会社から転職を繰り返し、最終的には東京の広告代理店に落ち着いた。何事にも凝り性のため、朝から深夜まで働き詰めの毎日。朋子とはいつしか生活リズムも心もすれ違ってしまっていた。「離婚しよう」。激務に疲れ、心に余裕がなかった私はある日、朋子に離婚届を差し出した。私たちは13年の結婚生活にピリオドを打った。 「...
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