帰り待つ古里...動き出す飯舘村民 重く長い時間から『再生の芽』

 
31日に避難指示が解除される飯舘村。山あいの村は住民の帰りを待っている

 南相馬市と川俣町を結ぶ県道12号が、飯舘村内を東西に貫く。震災前と同じように自動車が行き交う。しかし、村民の暮らしぶりを感じることはまだ少ない。震災と原発事故以降の6年間、人口6100人の村には重く長い時間が流れた。東京電力福島第1原発事故で全村避難を余儀なくされ、村民は古里を追われた。帰還困難区域を除いた避難指示解除を目前に控え、村再生の種は芽を出したところだ。

 「畜産の村」復活使命 水田地帯を牧草地に

 【山田さん親子】「飯舘村という良い場所に生まれて育った。きれいな農地を次の世代に伝えたい。それが使命だ」。福島市飯野町に避難し、肉牛の繁殖業を営む山田猛史さん(68)、豊さん(34)親子が今年春から、村内で肉牛を放牧する実証飼育に挑戦する。
 活用するのは村内の水田2ヘクタール。除染後に牧草を育てた水田に肉牛6頭を放牧する。放射性物質が肉牛や牧草に移行しないかを確かめる。影響がないことを確認できれば、徐々に村内で肉牛の繁殖業を広げていく考えだ。猛史さんは「広い水田が残っている。活用しなければ荒れた土地となってしまう。実証飼育がゆくゆくはモデルケースとなれば」と期待を寄せる。
 原発事故前の村内では肉牛の繁殖や肥育、酪農などを含めて234軒の農家が約2800頭を飼育しており、本県を代表する産地の一つだった。山田さん親子の取り組みは「畜産の村」復活への第一歩となる。
 豊さんは父親の計画に自分の夢を重ね合わせる。豊さんは昨年春まで、家族で京都府に避難し、老舗精肉店で精肉の知識を学んだ。習得したノウハウを生かし精肉業を営む夢を持っている。兵庫県のブランド牛「但馬牛」の母牛10頭を買い入れたのも夢実現への布石だ。

 村で再び...うどん店を 戻る人の礎築く

 【高橋さん親子】飯舘村飯樋のうどん店「ゑびす庵」店主の高橋ちよ子さん(68)は、4月中旬からの村内での営業再開に向け準備を進めている。避難指示解除に合わせ、避難先の福島市荒井にある店舗は3月末で営業を終了し、村内に移転する。村内で飲食店を再開させる"第1号"となる見通しだ。
 「店舗を新築して5年ほどで原発事故が起きてしまった」。避難を余儀なくされた高橋さんは2011(平成23)年7月から店舗を借り、福島市内で5年半以上営業を続けてきた。
 避難先で常連客もできて、後ろ髪を引かれる思いもあるが、避難指示解除に合わせ村内での営業再開を決断した。帰村を一番早く決めたのは夫の義治さん(70)。一昨年12月のことだった。
 「夫の生まれ育った場所だし、一人で村に帰らせるわけにもいかない。それに(飯舘村の)店は5年しか使っていない」。ちよ子さんと次男の均さん(42)は義治さんの決断を尊重して帰村を選んだ。店近くの自宅も新築した。
 ゑびす庵は、1953(昭和28)年に開店した村内一の老舗食堂だった。名物はのどごしが良く、こしのある手打ちうどん。震災前はうどんを目当てに南相馬市や福島市、郡山市から足を運ぶ人もいた。人気メニューは「肉うどん」だった。
 店内リフォームのため片付けをしながら、ちよ子さんは語った。「うどんを食べなくてもいい。お茶を飲みながら憩える場所になれば。誰かが村に戻って礎を築かないと、戻る人がいなくなってしまう」
 ちよ子さんは知り合いから聞いたことが忘れられない。「帰っている人の中には、寂しいから誰が村に帰ってきているのか近所を歩いて見て回っている人がいるんだ」。長期宿泊などを利用して帰村した住民は住民同士の触れ合いを求めていることを感じた。
 震災前は地区住民らが集まり、酒を酌み交わす場所でもあった。「集まって飲みながら騒いでいれば、戻ってくる人も安心できるはず」。親子3人で営むうどん店は村を照らす小さな"明かり"となることを望んでいる。

 避難先で生活拠点 帰村に厳しい現状

 【星さん親子】避難先で生活拠点を持った子育て世代の村民の中には、帰村を選択しにくい状況にある人もいる。「村に戻るとなれば、仕事など特別な理由がない限り戻らないと思う」。福島市に避難し、川俣町の工務店に勤務している星貴弘さん(37)は村内の自宅を解体し、家族4人で生活拠点を移した。
 長男と長女は福島市飯野町に仮設校舎を置く飯舘中にスクールバスで通学している。「子どもたちは友人と別れるのが嫌だったと思う」と星さん。来年4月から村内で学校が再開すれば、3年生となる長男の楓太君(13)は避難先から村の中学校に通うことを決めている。
 星さんは飯舘中PTA会長を務めており、「子育てしている家族で村に戻るのは1家族だと聞いている」と厳しい現状を話す。
 避難した子どもたちは学校に通い慣れ、友達もできた。星さんは「避難先で交流して仲良くなると、コミュニティーができる。戻る考えは徐々になくなっていく」と語る。

 作付けを全面再開へ 共同経営者が復帰

 【いちごランド】東京電力福島第1原発事故後、初めて飯舘村産の農産物を出荷した「いいたていちごランド」は今年、イチゴの作付けを全面再開する。震災前まで佐藤博社長(65)の家族と共同経営していた菅野幸蔵さん(63)一家が農業に復帰し、昨年比で作付面積を4倍に増加させる。
 菅野さんは原発事故の影響で栽培を休止。除染作業の一環として行われた宅地近くの防風林伐採に従事していたが、村内でいち早く農産物の栽培を再開した佐藤社長に触発され、営農再開を決断した。「もう一度、一緒にイチゴを栽培したかったんだ」と菅野さんは思いを言葉にする。
 ビニールハウスでの作付面積は昨年までの1000平方メートルから今年は4000平方メートルに増やした。出荷目標は12トン。菅野さんの営農再開を待ち望んでいた佐藤社長は県内の菓子店に"飛び込み営業"を重ね、新規の取引先を確保するなど努力してきた。
 佐藤社長は「一歩踏み出すのは容易なことではない。震災前に戻るにはまだまだ」と厳しい現状も受け入れながら、地道に栽培を続けるつもりだ。
 村内で農産物を出荷しているのは現在でも「いいたていちごランド」が唯一。しかし、菅野さんは「先駆者として村内に戻り、取り組んでいれば戻って来る人や後継者も出てきてくれるはず」。その日を信じて最盛期の夏場に向けて準備を進めている。