【5月5日付社説】こどもの日/明るい将来見通せる社会に

 

 人口が減り続ける、年金制度がもたなくなると話題になるたびに、その要因として出生率にも注目が集まる。人口減少も年金も待ったなしの問題ではあるが、大人が今の暮らしを維持するために子どもがいるかのような考え方がにじみ出てはいないか。まずは、生まれて良かったと思えるような社会をつくっていくことを考えたい。

 こども家庭庁の創設、負担の在り方が議論されている子育て支援金など、子どもを取り巻く環境は一見、充実が図られているようにみえる。しかし、近年新たに設けられた制度などの多くは、子育てに関する経済的負担の軽減や、育休制度の充実など、主に親世代に向けてのものだ。近年は晩婚傾向が少子化の一因として、結婚したい人を支援する施策も増えた。

 昨年施行されたこども基本法は、その理念として全ての子どもが適切に養育され、その生活を保障されることなどをうたっている。そのために親が経済的に自立し、家庭をつくれるよう後押しすることは重要だが、子どもそのものに対する施策とは言い難い。

 近年、新語として注目を浴びた「親ガチャ」は、出生をカプセル玩具の販売機を操作する際に何が出るか分からない不規則性になぞらえたものだ。子どもがどんな親の下に生まれるかは運次第で、その家庭環境に人生が左右されるといった意味だ。「運が良かった」という意味で使われることは少ない。多くは、自身の境遇を嘆く際に発せられる。

 高等教育の無償化など進学に伴う負担の軽減は進んでいるものの、将来を決める際の選択の幅は、住んでいる場所や親の経済力によって左右される面があるのは否めない。家族に代わって幼いきょうだいや障害のある親の身の回りの世話、家事などを担っている子ども、「ヤングケアラー」への対応は緒に就いたばかりだ。子どもに向けた施策はまだまだ十分とは言えない。

 「親ガチャ」の背景にあるのは、将来に対する諦めのような感情だろう。若い世代にこのような言葉が実感を伴って受け止められているとすれば、その原因は大人にこそある。

 考えなければならないのは、子どもに何を担わせるかではなく、何をしてあげられるかだ。子どもらに将来が明るいと思ってもらうためには、家庭環境などにとらわれることなく、自分自身の将来を描き、その道筋を切り開いていけるようにすることが重要だ。社会全体で子どもらを支える仕組みを強化していく必要がある。