【つないだ襷・箱根駅伝100回】 「優勝に導く」有言実行、松田和宏

 
(写真右)中大で4度箱根駅伝に出場し、総合優勝も経験した松田。現在は学法石川高陸上競技部の監督として、多くの教え子を箱根路に送り出している (写真左)第72回大会の2区で区間2位の走りを見せ、中大の総合優勝に貢献した松田(本人提供)=1996年1月

 松田和宏は中大に在籍した1994~97年に箱根駅伝に4度出場、3年生だった96年の第72回大会では、中心選手として中大を32年ぶり14度目の総合優勝に導いた。2009年に学法石川高陸上競技部の監督に就くと、東洋大で活躍して東京五輪男子1万メートルに出場した相沢晃(須賀川市出身、旭化成)ら60人近い教え子を箱根路に送り出してきた。松田は「箱根の経験が今の指導に生きている」と力を込める。

 東海大山形高時代、全国高校駅伝にも出場した有力選手だった松田は、中大を含む複数の箱根駅伝常連校から入学の誘いを受けていた。中大はこの頃、箱根で毎年のように優勝候補に挙げられながら3、4位にとどまり優勝を逃し続けていた。「自分が優勝に導いてみせる」。松田はそう決意し、白地に赤の「C」が鮮やかな伝統のユニホームを着ることにした。

 1年生から4大会連続で箱根の「花の2区」を走った松田には、目標とする選手がいた。1学年上で、早大の大黒柱だった渡辺康幸(現・住友電工監督)だ。「まさに天才ランナー。けた違いに筋肉の付き方が良く、いつも前向きで高い目標を掲げていた」と尊敬の念を口にする。

 96年の第72回大会で、松田は1時間8分29秒で区間2位の快走を見せたが、区間賞に輝いたのは1時間6分54秒の渡辺だった。「ついに渡辺さんに勝てなかった」。総合優勝を喜ぶ仲間をよそに、松田は一人悔しさをかみしめた。

 指導者となった松田は学生時代の反省を選手育成に生かしている。「自分はスピードがなかったせいで勝てなかった。スタミナは大学からでも付くが、出力は高校じゃないと伸びない」。そんな考えから、体のバネを鍛える練習や、上に伸びるように走るフォームづくりなどに重点を置いている。

 今大会、同校からは全国4位タイの多さとなる10人がエントリーしている。「箱根があるからこそ、夢を抱いた生徒が学法石川に来てくれる。これからも盛り上がる大会であり続けてほしい」と松田。多くのランナーが注目する節目の第100回大会が目前に迫っている。(敬称略)

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 まつだ・かずひろ 山形県出身。中大卒。箱根駅伝では1年生から4年連続で2区を務めた。卒業後は実業団のダイエー、佐川急便で活躍し2006年に引退。09年に学法石川高陸上競技部監督に就任し、今年までに男子を13年連続、女子を11年連続で全国高校駅伝競走大会出場に導いている。49歳。

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