【震災7年・鎮魂の祈り】息子がいてくれれば 車に残った缶コーヒー

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「息子を思わない日はない」。健一さん愛用のサングラスを手に話す一夫さん=いわき市

 双葉町の佐藤一夫さん(76)=いわき市=の長男で、楢葉郵便局員だった健一さん=当時(41)=を失った。仕事で訪れた浪江町請戸で津波に巻き込まれたとみられる。

 「ずいぶん後になって、震災直後に健一が手を振っていたという目撃情報を聞いた。何を訴えたかったのだろうか。」

 郵便局員を勤め上げた一夫さん。その背中を見て育った健一さんも大学を卒業後、郵便局員として働き始めた。中通りの局を手始めに、古里の双葉町や楢葉町で勤務した。震災の朝も、いつも通りに孫から弁当と缶コーヒー3本を受け取り、手を振って出勤した。それが最後の姿だった。

 双葉町は東京電力福島第1原発事故による全町避難。事故当時、行政区長だった一夫さんは地域住民の安否確認などに奔走した。混乱の中、一夫さんは携帯電話を自宅に置いたまま避難してしまった。健一さんと連絡は取れていなかったが、健一さんの務める楢葉局は海から離れているため「大丈夫」と信じ込んでいた。

 「震災・原発事故から1週間後ぐらいの時期だった。夜眠れなくて東京に住む妹に電話をしたら、「健一の行方が分からない」と告げられた。」

 行方不明者の中に、長男の名前があることを初めて知った。調べてみると、健一さんは震災発生時、請戸局に仕事でいたと分かった。請戸も原発事故による避難指示があって入れなかったが、一周忌を前にやっと現地に入った。その後は健一さんの手掛かりを探し続けた。

 震災から2年半を迎えた2013(平成25)年9月11日。郵便局の関係者が、健一さんの愛車が請戸で見つかったと連絡をくれた。中には愛用のサングラス3本と、当日、孫から受け取った缶コーヒー3本が残されていた。

 一夫さんや健一さんら家族6人がかつて暮らした自宅は、中間貯蔵施設の建設予定地の中。一夫さんは昨年11月、国と土地の売買契約を結んだ。苦渋の決断だった。

 「健一が健在だったら「土地はどうしようか」と相談していた。「将来戻るつもりだから、土地は貸すだけにしてくれ」と言ったかもしれないな。」

 車が見つかる前に自宅に一時立ち入りした際、健一さんが来ていたのではないかと部屋を見回してみたが、やはり姿はなかった。

 「息子を思わない日はない。息子がいてくれれば。」

 健一さんはまだ、見つかっていない。

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