家族の幸せ考える 当面は二重生活、双葉...まだ「泊まる場所」

 
ウッドデッキを茶色の塗料で塗る(手前から)勇勝君、勇誠君、せりなさん、大沼さん。自宅周辺の建物が解体されたことで、JR双葉駅の駅舎が見えるようになった=2月11日、双葉町長塚字町

 東京電力福島第1原発事故による全町避難が続く双葉町で、1月下旬から町内の特定復興再生拠点区域(復興拠点)で準備宿泊が始まった。参加している人は、古里の今や将来にどのような思いを持っているのだろうか。2月中旬、茨城県古河市から家族と2回目の準備宿泊に来た自営業大沼勇治さん(45)を訪ねた。

 JR双葉駅付近の駐車場に車を止め、歩いて大沼さんの自宅に向かった。駅の東側は、町の仮設庁舎の建設が進む。カンカンとつち音が響くが、まだ人影は少ない。大沼さんの住宅は、建物が解体された更地に囲まれていた。

 大沼さんと妻せりなさん(46)、長男の勇誠君(10)、次男の勇勝君(8)に迎えられた。すでに水道と電気は通っており、リビングには「RESTART(リスタート)」と手書きした段ボールのテーブルが置いてあった。

 今回の作業は、花壇の花植えとウッドデッキのペンキ塗り。おそろいの作業着に身を包んだ勇誠君と勇勝君が現れた。「えいっ」と2人は花壇にスコップを差し込み、シャクナゲなどを植えた。その後、色あせたウッドデッキに茶色の塗料を上塗りした。大沼さんは「布団が干せそうだ。夏はバーベキューをしたいな」と期待に胸を膨らませた。

 原発事故当時、勇誠君はまだせりなさんのおなかの中だった。会津若松市などで避難生活を送った後、2014(平成26)年5月に茨城県古河市の一軒家に腰を落ち着けた。勇勝君は避難先で生まれた。大沼さんは長らく、双葉町の自宅をどうするか気持ちが揺れていた。しかし、昨年3月に双葉町を訪れた際、勇勝君の「双葉が好き。また来たい」という言葉を聞き、残そうと思いを強くした。

 作業後、大沼さんは記録のためビデオカメラで撮影しながら、2人に街中に必要なものを聞いた。「学校やスーパー、公園が近くにできたらいい」と勇誠君。大沼さんは「できたら便利だね。病院や理髪店もできたら事故前の双葉町に近づくと思う」と返した。

 双葉町によると、準備宿泊を申請したのは4日時点で延べ21世帯27人。「双葉はまだ、住むには厳しく『泊まる場所』だ。家族で幸せな時間を過ごすためどうやっていくか、答えがないから考えている。希望を捨てずに、当面は二重生活したい」と語る。大切な古里で、家族と幸せな時間を見いだそうとする大沼さんの姿を目に焼き付けた。(郡山総支社・緑川沙智)