【駅伝王国福島・全国制覇の軌跡】名選手の『魂』受け継ぐ若者

 
初優勝を成し遂げた本県男子チーム=20日、広島市

 広島市の平和記念公園前を発着点に20日行われた第24回全国都道府県対抗男子駅伝競走大会。本県は最終7区の逆転劇で東北勢初の優勝を飾った。多くの名ランナーがつないできた「駅伝王国福島」の系譜。それを受け継ぐ若者たちの走りが、平成最後の大会で実を結んだ。

 本県は4年ぶりに学生ランナーだけで臨んだ。前半はうまく上位でたすきをつなぎ、4区横田俊吾(学法石川高3年)の区間賞などで優勝争いに加わるとアンカー相沢晃(東洋大3年、学法石川高卒)が25秒差をひっくり返した。2時間19分43秒。距離が変更となった第5回大会以降では、本県チームの最高タイムだった。

 何度も優勝の好機

 ふくしま国体翌年の1996(平成8)年に始まった大会。5位入賞で全国上位の実力を証明すると、のちにマラソンで日本人最高を記録する藤田敦史(当時駒大、清陵情報高卒)をアンカーに配した第4回大会では2位に入った。1964年の東京五輪マラソン銅メダリスト円谷幸吉をはじめ、多くのランナーを輩出してきた本県。「駅伝王国福島」のプライドを懸けて各世代の有力ランナーを招へいして頂点を目指したが、第5~14回大会では入賞3度とその壁は高かった。最大のチャンスは第15回大会。北京五輪マラソン代表の佐藤敦之(当時中国電力、会津高卒)と柏原竜二(当時東洋大、いわき総合高卒)を擁して再び2位。最終区の佐藤と竹沢健介(兵庫)とのデッドヒートは今も語りぐさだ。

 ここからという時、東日本大震災が影を落とす。2012年の第17回大会は過去最低の34位。40位台と低迷するレースの中、一人気を吐いたのがアンカーを務めた今井正人(トヨタ自動車九州、原町高卒)。7人抜きの快走で底力を示した。

 箱根駅伝山上りで名をはせた今井は、小高中3年で出場した第5回大会で佐藤にたすきをつないだ。「『思い切って走れよ』と言ってもらい力が出せた。自分もこういう存在になりたいと思った」と振り返る。だからこそ優勝争いから遠のいたレースでも今井は懸命の走りを見せた。この駅伝への特別な思いを若手に伝えたかったからだ。

 選手としても安芸路を走り、監督就任3年目で歓喜の胴上げを受けた安西秀幸(安西商会)は「昔は五輪選手より福島代表に選ばれることの方が大変だった。その伝統、歴史の重みを感じると誇らしい」と振り返る。そして「この優勝で福島の子が力強く生きているということを全国にアピールできた」と胸を張った。

 震災から8年が近づく中、名ランナーたちに憧れて育った若者が手にした日本一の称号。世代を超えてたすきをつないできたチーム福島が、花開いた瞬間だった。(敬称略)

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