【つないだ襷・箱根駅伝100回】柏原竜二、山の神に憧れ...超えて

 
今年2月のいわきサンシャインマラソンにゲストランナーとして参加し、古里の大会を盛り上げた柏原

 「箱根駅伝は良い意味でも悪い意味でも人生を変えてくれた」。山上りの5区で2009年の第85回大会から4年連続区間賞を獲得し、東洋大を3度の総合優勝に導いた柏原竜二。無類の勝負強さで逆転劇を演じ、大会の"主役"として脚光を浴びた舞台をそう表現する。あれから10年余り。当時と違う立場で今も箱根駅伝を見詰めている。

 鮮烈なデビューだった。1年生の時に8人を抜き、トップと4分58秒差をひっくり返した。東洋大初の往路優勝、総合優勝に貢献し、「雲の上の存在」と尊敬する今井正人が07年の順大時代に樹立した区間記録も47秒更新。「時計が違っているんじゃないかと思った」。当時19歳の言葉には喜びと驚きが入り交じった。

 優勝のフィニッシュテープを切る―。大会直前に見た初夢が現実になった。「そのくらい毎日イメージトレーニングをしていた」と振り返る。レース本番は究極の集中状態「ゾーン」に入り、記憶があいまいな部分もあるが、先頭を走る早大の監督の声が聞こえた瞬間にわれに返ったのを覚えている。

 山上りを志したのは5歳上の今井への憧れからだ。高校時代に全国都道府県対抗男子駅伝でチームメートとなり、箱根駅伝の5区について率直に質問した。「大変だけど、やりがいがある区間だよ」。スーパースターからの一言を胸に刻み、帰りのJR広島駅でサインをもらった。「あの時、今井さんが気さくに話してくれたから今の僕がある」

 2年時の箱根駅伝も驚異的な走りで4分26秒差を逆転した。だが、全てが順風満帆だったわけではない。世間に注目され、自身を取り巻く環境が変化。周りの選手にも「柏原ならやって当たり前」と見られるようになり、嫌気から精神的な不調に陥った。「ここにいたくない」。3年生の夏休みに大学を抜け出した。

 いわき市に戻り、母校の合宿に参加。その際に高校時代の恩師などから「こういう時は陸上人生で絶対にある」と声をかけられた。気持ちが前向きになった。年明けの箱根駅伝はフィニッシュ後に倒れ込むほどの気迫の走りで復活を遂げた。

 4年時は特別な思いがあった。東日本大震災が発生し、動揺で練習が手に付かない時期もあったが、「誰かのために」と決意。2年ぶりに区間記録を更新し、有終の美を飾ると「(僕が)つらいのは1時間ちょっと。福島の人の苦しみに比べれば、全然きつくなかった」と名言を残した。

 現在は富士通社員として働く傍ら、ラジオ番組のナビゲーターを担当。箱根駅伝の出場校を精力的に取材し、予選会では10年ぶりに本戦出場を決めた東農大の高槻芳照(学法石川高卒)が喜ぶ姿にもらい泣きしそうになった。「頑張っている選手を間近で見られることが今は幸せです」。第100回大会は一人の取材者として箱根駅伝に懸ける選手の思いを伝えていく。(敬称略)

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 かしわばら・りゅうじ いわき市出身。いわき総合高、東洋大卒。高校3年の全国都道府県対抗男子駅伝で1区区間賞。大学1年の関東インカレ1万メートルで日本人トップの3位。箱根駅伝では「新・山の神」と称され、2012年にみんゆう県民大賞。富士通に進み、17年に現役引退。34歳。

箱根駅伝成績

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