【起き上がり小法師】〔川俣・シェルモールドカンノ〕若い世代に技術伝承

 
「若い世代に技術を伝承していきたい」と話す菅野社長

 自動車や水道メーター、油圧バルブなどの金属部品を作る際に使用される砂型の製造を手掛ける。

 東京電力福島第1原発事故で、川俣町山木屋にあった工場は同町内への移転を余儀なくされた。しかし、菅野秀夫社長(66)は「原発事故で避難したが、下を向いている時間はない。若い世代に技術を伝承していかなくてはいけない」と力を込める。

 原発事故による避難指示で混乱する中、会社存続に奔走した。工場を移転するため知人を頼り、必死に探して移転先を紹介してもらった。「社員がいるので必死だった。今があるのは協力してくれた人たちのおかげ。移転先が見つかった時は本当にほっとした」と感謝する。

 菅野社長は現在、車いすで生活を送る。30代前半の時に脊髄に腫瘍が見つかったことで手術し、徐々に両足が不自由な状態となった。「元々は鋳物製造会社に勤めるサラリーマン。足が不自由になったことで子どもの将来などを考え、起業するしかないと思った」と振り返る。自身の逆境を力に変えて奮闘してきた。

 鋳物製造会社で培った経験を基に1989(平成元)年に会社を興し、従業員14人を抱える事業所に成長させた。同町山木屋は避難指示解除の時期を巡る協議を控えている。事業展開する場所は検討中。課題は「有能な若手技術者の確保。事業継続するには必要」と話す。