中間貯蔵施設、変わりゆく風景 難題へ問われる政府の覚悟

 
高台から望む中間貯蔵施設。まだ空きのある場所に黒い遮水シートがかけられ、奥には福島第1原発1~6号機が並ぶ

 眺めのいい高台に立つと、遠くに東京電力福島第1原発の1~6号機が見えた。手前には高さ15メートルの「山」がある。除染で出た土壌を積んだもので、まだ受け入れられる場所には黒い遮水シートがかけられていた。

 「この景色が見られるのはあと1年。数年後はまた違う景色になる」。案内役の環境省担当者が説明した。

 2月上旬、大型バスで中間貯蔵施設内を回った。面積約1600ヘクタール。東京都渋谷区に匹敵する敷地のあちこちに、山が造られている。

 1年前に存在感を放った土壌輸送用ベルトコンベヤーは姿を消した。当初計画した量の搬入を終えたためだという。変わりゆく施設内の風景とは裏腹に、増え続ける土と廃棄物の行く末は見えないままだ。

 県外最終処分の約束期限は2045年3月。処分地選定は難航必至だが、政府が作成している工程表は24年度まで。25年度以降は白紙で、工程の早期明示を求める地元の声が強まりつつある。同省はこの日、「24年度中に工程を示すか」との問いにさえ明言を避けた。

 処理水の処分開始は原発事故から12年5カ月を要した。土よりはるかに高線量の溶融核燃料(デブリ)もやがて処分地が問題になる。事故の後始末は、人々の忌避感に折り合いをつける作業の連続とも感じる。

 バスは最後に敷地内の神社を訪れた。氏子が避難先から手入れに通い、昨年末にはしめ縄を更新したという。16年に建立された石碑には「鎮守神を末代まで受け継ぎ 再び人々の営みが蘇(よみがえ)ることを願い」と刻まれていた。

 中間貯蔵施設の敷地には13年前、約2700人の営みがあった。復興の大義を抱き土地を提供した胸中は「苦渋」などの言葉では表せない。約束を果たすための明確な工程はもとより、この難題に臨む政府の覚悟を示してほしい。(報道部・斉藤隼人)