バド桃田賢斗「幸せな10年間」 苦難続き...ファンの支え感謝

 
会見で代表人生を振り返り、「感謝の思い」を伝えた桃田=18日、東京都

 一時代を築いた「エース」が日の丸のユニホームを脱ぐ。18日の記者会見で日本代表からの引退を発表したバドミントン男子シングルスの桃田賢斗(29)=NTT東日本、富岡高卒。2018年に日本男子初の世界ランキング1位を獲得するなど数々の金字塔を打ち立てた元世界王者は、遠征先で遭った交通事故後の苦難を明かすとともに、支えてくれたファンに向けて何度も「感謝」を口にした。

 「自分の口から感謝の思いを伝えたいと思い、この場を設けさせてもらった。代表に選んでいただいてから約10年間。幸せな時間だった」。黒のスーツ、青のネクタイで壇上に立った桃田は、晴れやかな表情で口を開いた。輝かしい栄光の一方、苦難も大きかったからこそ、周りの支えに後押しされた代表人生だった。

 特に2020年1月に遠征先のマレーシアで巻き込まれた交通事故は桃田の選手生命を脅かした。顔面3カ所の裂傷と全身打撲で、シャトルが二重に見えるほどの大けがだった。

 右眼窩(がんか)底骨折の手術に踏み切ったが「疲れない練習量でも疲労を感じた。思い描くプレーと、自分ができることとの差が一番しんどかった。ずっと厳しいというのは感じていた」と体が元のように動かなかったと明かした。

 21年の東京五輪は予選リーグ敗退。その後の国際大会でも結果を残せない日々が続いた。それでも立ち上がれたのは応援があったからだという。「しんどいことだらけ。自分の都合で引退するのは簡単だったけど、今まで支え、応援してくれた人たちを前に諦めたくなかった」とパリ五輪出場への歩みを止めなかった。

 今後は国内大会への参戦のほか、競技の普及にも力を入れていく考えだ。「最近は結果と合わないぐらい応援してもらっていた。自分に憧れてくれた子どもたちに恩返しをしていきたい」。世界に刻んだ技術を未来に伝えていく。(佐藤智哉)

 代表引退会見、一問一答

 ―代表生活を振り返って。
 「自分も驚くぐらいの結果を出すことができたと思う。東京五輪で結果を残せなかったことは悔しいが、もう五輪を目指さなくなることについては後悔はない」

 ―日本代表を引退する理由は。
 「交通事故に遭って目の手術をしても、思うように見えない部分があった。頑張っては厳しいかなって思う繰り返しだった」

 ―どんな思いでプレーしてきたか。
 「応援され、周りから愛されるような選手になりたいと思ってきた。達成できたかは分からないが、本当に多くの人に応援してもらえるようになって、日本代表としての10年間は誇らしいものだったと思う」

 ―福島への思いを。
 「本当に苦しい時に福島の方々からのメッセージは心強かった。これからは、もらった分を少しずつ返していきたい」

 恩師・斎藤さん「一時代築いた」

 桃田の母校・富岡高の流れを受け継ぐふたば未来学園中・高(福島県広野町)で中学バドミントン部監督を務める斎藤亘さん(52)は「一時代を築き、記憶と記録に残る選手だった」とたたえた。斎藤さんは桃田の富岡一中(富岡町)時代を指導しており「代表引退でも、選手として現役は続けていく。桃田にしかできない取り組みを進めてほしい」と期待を寄せた。

 また斎藤さんは、5月3~6日に富岡町で初めて開かれるバドミントンの国内外のジュニア世代が出場する大会を桃田が応援していることを踏まえ「桃田が資金面で協力してくれている。新たな道へと進む桃田の思いが込められているのではないか」と語った。

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