【クリエイティブディレクター・箭内道彦氏】 復興へ「内と外」つなぐ さまざまな経験、高校生活に必要

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「外の人と県民、学校と生徒とをつなぐ役割をしたい」と話す箭内氏

 双葉郡復興のシンボルとなる中高一貫校・ふたば未来学園高の開校準備が進む中、同校を支援する「ふたばの教育復興応援団」のメンバーでクリエイティブディレクターの箭内道彦氏(郡山市出身)は22日までに、取材に答えた。各界の第一線の人材をそろえた応援団について「復興は外側の力と内側の力が両輪にならないとうまくいかない。自分が両者をつなぐ役割をしなければならないと思う」と意欲を示した。

 箭内氏は、東日本大震災以降、県内各地に足を運んだ感想として「若い人たちと話すと、復興とか明日とかを背負いすぎているような気がする。それは無理やり背負わされているのではなく(震災という)大きなことがあったからこそ『古里のためになりたい』という志や思いやりになっている。心強く感じる一方で心配でもある」と指摘した。

 さまざまな経験を通じて成長していく高校生活については「本当はもっと普通に恋したり、けんかしたり、ふざけたりもしてほしい」と語り、「人材を育成するという目的だけにならないよう、(生徒と学校の)接着剤の役目を心掛けたい」と学校運営に生徒の立場を考えてアドバイスする考えを示した。

 また、クリエイティブディレクターの本業は広告をつくることだが、応援団としては「未来学園を全国に知らしめる広告ではなく、生徒の思いや魅力をもっともっと大きく見えるものにする生徒一人一人の広告でありたい。また未来学園が、双葉で教育を受ける権利のある生徒にとって堂々と学べる場所であることを情報発信していきたい」と抱負を語った。

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 【箭内道彦氏インタビュー 聞き手:小野広司編集局次長】

 クリエイティブディレクターの箭内道彦氏は福島民友新聞社のインタビューで「県民は震災直後、行政への不満もあったと思う。今は両者に溝があるのがもったいない。外から異を唱えるばかりより、変えることができる場に入り、変えることができる相手に直接働き掛ける方が物事の実現は早まるのではと考えている」と話し、課題解決に向け両者の思いをしっかり重ねるべき時期だと指摘した。

 ―応援団の顔ぶれをみて思うことは。
 「私は応援団に最後に入ったメンバー。その際、応援団の顔ぶれは素晴らしいし、双葉の教育を応援していただけるのはありがたいが、表向きの派手さが先行しているのではないかと思った。外から派手なものが入ってくることに、地元の人も不安だろうし、応援団も(地元と)どう向き合えばいいのか不安だろう。知り合いだった小泉進次郎復興政務官から話が来て、双方が正しく機能するためのつなぎ役ができるのならばと引き受けた。未来学園の中でも同じ。政務官からは生徒たちの『寮長みたいなイメージ』と言われた」

 ―幅広い分野で活躍しているが、職業はと聞かれたらどう答えているか。
 「(震災後に「I love you & I need you ふくしま」を歌った福島県人バンドの)『猪苗代湖ズ』の印象ももちろんあると思うが、ぼくは広告を作るクリエイティブディレクターだと答えている。ただ、広告はテレビCMを作るだけではない。NHKの番組『トップランナー』で司会をした時は、毎週やってくるゲストの魅力を伝えたり、興味を持ってもらうのも広告だと思った。『猪苗代湖ズ』として紅白で歌ったのも、福島のことを全国の人に思ってほしい、忘れないでほしいという広告だったと思っている」

 ―広告を作る人として未来学園にどう関わるのか。
 「いろいろな声が外野からあると思う。あの場所に学校をつくるのはどうなのかとか、著名人をそろえ生徒を集めているとか。そういう声は学校で学ぶ子どもたちに一番きついことだと思う。双葉に住み、教育を求めている生徒たちは双葉で教育を受ける権利がある。外野の声に対しては『そうではないよ』ということを正しく発信していきたい。中学、高校時代は自分と違う考えを持つ人を否定するのではなく、いろいろな人がいて物事が前に進むことを学ぶ時期でもある。進学やスポーツ、職業人としての知識を学ぶなどコースがたくさんある未来学園の環境に期待をしたい」

 ―生徒に自身の生きざまを見せるという側面もある。どんな子どもだったか。
 「人にどう思われるか気になり、内なる思いは熱いが殻を破って外に出すことができず、中学、高校時代はそれがコンプレックスだった。吉田拓郎や松山千春、アリスなどで音楽に目覚め、バンド活動をしていたが、ギターの指が速く動くわけでもなく、高校2年で職業にするのは無理だろうと思った。挫折した。そこで進路を美術にしようと思った」

 ―両親の反応は。
 「やってもいいが、職業になる"つぶし"のきく学科にと言われ東京芸大のデザイン科を選んだ。当時の倍率は50倍で、3浪した。浪人中は周囲が『もうやめたらいいべ』と言ってくれたが、逆に『やめねえぞ』とエネルギーになった。卒業後は、多くの人に元気を配るコミュニケーションの仕事をしようと広告代理店に入った。でも8年ぐらいは思うように仕事もできず、20代は暗黒時代だった」

 ―その壁はどう打ち破ったのか。
 「金髪にした。つまらないものを作ったら『金髪は格好だけ』と言われる。自分でハードルを上げた。そして、来る仕事を受け身でやるのではなく『何かありますか、何でもやります』と自分から働き掛けを始めた。人との出会いもあり、仕事が入ってきた。不完全燃焼だった自分の窓が開いて、30代からは反動のような感覚で走りだした。それが今もエネルギーになっている。10代、20代はつらかったが、今は必要な抑圧だったと思っている」

 ―福島に住んでいる子どもたちや保護者は、震災後の環境のもとで、どのような生き方をしたらよいか。
 「自分と違う答えを選んだ人や立場の違う人を認め合うことが、自分にとっても、世界にとっても大事。福島には優しい人が育ってきている。優しいとは、弱くて言いたいことが言えないという意味ではない。強い思いを持って人に接すること。そうしたことができる福島の人こそ『福島の名産』だと思う。子どもたちには重荷に思ってほしくないが、これからの日本で福島の子どもたちが、さまざまな分野で活躍していくはずだ―と考えている」

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 やない・みちひこ 郡山市出身。東京芸術大美術学部卒。博報堂を経て「風とロック」を設立。タワーレコード「NO MUSIC,NO LIFE.」、リクルート「ゼクシィ」など話題の広告キャンペーンを多数手掛ける。バンド「猪苗代湖ズ」ではギタリスト。50歳。

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