【映画・喜びも悲しみも幾年月】いわき・塩屋埼灯台 灯台守の半生

 
断崖にそびえる塩屋埼灯台

 白砂青松の沿岸部の断崖にそびえ立つ白亜の塔。いわき市の観光名所の一つにも数えられている、同市平薄磯にある塩屋埼灯台は、地元では「豊間の灯台」とも呼ばれ、親しまれている。

 2011(平成23)年3月11日の東日本大震災時には、照明部分のガラスが割れるなど被害が出て、航行する船をいざなう光が途絶えたものの、約9カ月後に復旧、再び光がともった。

 灯台の麓から約190メートル、約80段の階段からなる坂道を上ると、真っ白な灯台の基礎部分にたどり着く。そこから臨む風景も絶景だが、さらに歩みを進める。塩屋埼灯台は全国で16基しかない"登れる灯台"として知られる。参観料300円を払えば、灯台内部に入れる。中に入ると待ち受けているのはさらに100段程度のらせん階段。マスクが息苦しいが、上り詰めれば太平洋の水平線を拝むことができ、付近の街並みも一望できる。

 塩屋埼灯台は1899(明治32)年に点灯を開始した。1938(昭和13)年の本県北方沖地震でレンガ造りの初代が大破し、現在立っている灯台は2代目だ。すでに制度は廃止されているが、長い歴史の中、塩屋埼灯台には光を途絶えさせないという役割を持つ「灯台守」と呼ばれる人たちが住んでいた。彼らは全国の灯台を転々とし、各地で光を守り続けてきた。

 投書が契機に

 塩屋埼灯台の灯台守をモチーフにした映画がある。松竹が57(昭和32)年に公開した「喜びも悲しみも幾歳月(いくとしつき)」だ。監督は木下恵介。塩屋埼灯台などで灯台守を務めた田中績(いさお)さん、きよさん夫婦が、主人公のモデルだ。

 田中さん夫婦の物語が映画化されたきっかけは、雑誌に掲載されたきよさんの投書だった。灯台守の妻としての生活の悲喜こもごもをつづった内容が、木下監督の目に留まったという。

 映画は、厳しい駐在生活を送る灯台守夫婦の半生を描いていた。冒頭は、新婚の主人公・有沢四郎と妻きよ子が、灯台の仲間に結婚を報告するシーン。そして、25年の間の人との出会いが描かれ、最後は巣立つ子どもたちを見送る。田中さん夫婦を題材に、戦前から戦後に至る灯台守たちの人模様を描いていた。

 だが、塩屋埼灯台は、この映画の中のワンシーンにしか登場しない。ロケ地となっているのは別の灯台だ。映画にまつわるエピソードを知る人物は、今となっては少ない。

 「塩屋埼灯台は階段が多いし急だから、機材を運べなかったのかな」。そう推測するのは、田中さん夫婦の娘で、塩屋埼灯台で参観者の受け付けなどを担当する「燈光会」メンバーの作山葉子さん(71)だ。

 作山さんは夫婦の三女として生まれ、塩屋埼灯台で幼少期を過ごした。現在は取り壊された、灯台守の宿舎に住んでいたという。「水道がなく、灯台守たちが毎日てんびんで水を灯台の下から運んできていた」と当時の苦労を語る。父については「何でもできる器用な人だった。映画でも描かれているが、産気づいた母から子どもを取り上げたこともあったと聞いている」と思い出を語る。

 映画が公開されると、田中さん夫婦は一躍時の人になった。作山さんによると、赴任先の灯台で畑作業をしているときでも握手を求められるたり、選挙の演説を頼まれたりしていたといい、「恥ずかしがっていたし、大変そうにしていたと聞いた」と懐かしむ。

 田中さん夫婦が塩屋埼灯台に在籍したのは2年程度だった。しかし、千葉県の灯台を最後に引退した後は、夏は涼しく、冬は暖かい気候を気に入り、いわき市に移住し、終(つい)の住処(すみか)とした。

 歌姫の代表作

 映画作品以外にも、塩屋埼灯台は大物歌手の楽曲に取り上げられている。87(昭和62)年当時、病からの復帰作第1弾として注目された、美空ひばりの「みだれ髪」が星野哲郎作詞、船村徹作曲によって生み出された。美空ひばりのヒット売り上げ曲の中でもベスト10に入るほどの反響があった。

 灯台近くにある震災メモリアル施設「いわき震災伝承みらい館」のアドバイザーを務める、元市職員の小宅幸一さん(69)は「ひばりさんがいわきに来ることになり、マスコミをどうさばくかに苦心した思い出がある」と、市広報広聴課に在籍していた87年の出来事を振り返る。その言葉には、絶頂だった美空ひばりの人気の高さがうかがえた。ただ、病気の悪化を理由に、美空ひばりの訪問はかなわなかったという。

 「喜びも悲しみも幾歳月」も「みだれ髪」も、作品制作を記念した石碑が灯台近くに立つ。訪れる人々は石碑を見ながら往時に思いをはせる。小宅さんも「『喜びも―』の、階段を延々と上るラストシーンを見て『あぁこれが人生なんだ』と感じた」としみじみ。記憶に残るうちで、最初に見た映画。今でも心に残っているという。

 多くの人々を魅了した作品の舞台となった塩屋埼灯台は昨年、点灯開始から120周年を迎えた。復興の象徴として、今までも、これからも、海と地域の安全を見守り続けている。(一部敬称略)

いわき・塩屋埼灯台

 【塩屋埼灯台へのアクセス】常磐道いわき中央インターチェンジ(IC)から約25キロ、車で約40分。JR常磐線いわき駅からは江名経由小名浜行きのバスで、灯台入口で下車し徒歩15分程度。

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 【喜びも悲しみも幾歳月】安全な海を守るため、日本各地に点在する灯台を転々とし、厳しい駐在生活を送る灯台守夫婦が主人公の、戦前から戦後に至る25年間を描いた長編ドラマ。全編でカラー映像での撮影が採用され、日本各地の美しく厳しい風景を活写した大作。公開当時大ヒットを記録し、芸術祭賞を受賞した。歌手の若山彰が歌う同名の主題歌も大ヒットを記録した。後世でも過去の著名なヒット曲として、しばしば紹介されている。

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 【塩屋埼灯台】断崖にそびえる白亜の美しい外観から「日本の灯台50選」に選ばれている。塔の高さは地上から24メートル、海面からは73メートル。光の強さは44万カンデラで、22カイリ(約40キロ)先まで届く。1899(明治32)年に設置、点灯が始まり、現在の灯台は2代目。1971年までは灯台守が居住し、灯台の保守点検に当たっていた。2019年には初点灯から120周年を迎えた。中学生以上は参観料300円。10月~翌年2月の開場時間は午前9時~午後4時(土、日曜日などは同4時30分)。