回想の戦後70年 歌謡編−(4)愛しき日々

 
歌謡編−(4)愛しき日々

震災後の会津まつりで鶴ケ城をバックに「愛しき日々」を熱唱する堀内さん=2011年9月23日

 国内経済は1986(昭和61)年暮れ、バブル景気に突入した。73年のオイルショックで高度経済成長が終わりを告げ、世の中の動きが緩やかになった安定成長の時代は、一つの節目を迎えた。

 70年代に「新しい音楽」の旗手として活躍した戦後生まれのスターたちも、このころには30代半ば。それぞれに転機を迎えていた。ニューミュージックの人気バンド「アリス」のメンバーだった堀内孝雄さん(65)は86年3月、喜多方市を訪れていた。ボランティアでコンサートを企画する地元住民らのグループ「あぐだもぐだ」の始動コンサートに出演するためだ。

 アリスはテンポのいい曲からバラードまで幅広い楽曲で人気を博し、70年代後半の音楽シーンを駆け抜けた。しかし、ボーカルの谷村新司さんや堀内さんのソロ活動が増え、81年に活動停止を宣言。堀内さんはソロとして、自分の歌の方向性を模索している時期だった。

 コンサートの運営に関わっていた小田切秀介さん(58)=現・喜多方シティエフエム社長=は「堀内さんはまだソロで売れていない時期だった。『来年も出てよ』と声を掛け、1年後の出演予定も入れられた」と振り返る。ところが約10カ月後、堀内さんを取り巻く状況は一変する。

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 「愛しき日々」は86年暮れ、日本テレビ系の年末時代劇ドラマスペシャル「白虎隊」の主題歌として流れ、大ヒットした。アリス時代に「冬の稲妻」がヒットするまで6年かかった堀内さんだが、ソロでも6年目にして初ヒット。ひたむきに歌に向き合う姿に女神がほほ笑んだ。

 ドラマが話題を呼び、主題歌もヒットして会津観光にも転機が訪れた。ドラマ撮影に全面協力した会津若松市の観光課に勤務していた渋谷民男さん(68)=現・会津まつり協会事務局長=は「あのころ、会津のスナックでは『愛しき日々』を歌わない人がいないってくらい、みんなが歌っていました」と目を細める。

 「ドラマ放映は、それまでの『暗い』『悲しい』という会津の歴史のイメージを一新した」と渋谷さんは見る。「かたくな」で「ひとすじ」。そんな会津に憧れるファンが増えた。中高年が多かった観光客の層も、若い女性まで一気に広がった。「白虎隊士の生きざまや時代と、歌が重なった。若い俳優たちが白虎隊士を演じたことも要因だろう」と渋谷さん。明治以降、報われることの少なかった会津に光が差そうとしていた。

 翌87年2月。日本テレビ系の歌番組「歌のトップテン」で「愛しき日々」がトップテン入りし、同市の鶴ケ城からの生中継で堀内さんが歌を披露することになった。「雪が降っていて寒かったなぁ」。渋谷さんは、堀内さんが歌う場所の上、天守閣の窓から祝福の垂れ幕を降ろすため準備していた。

 鶴ケ城本丸のファンの人垣は3千人を超えていた。予想以上の反響。それにも増して、「愛しき日々」が会津の姿と人々の心を世に知らしめた効果は、大きかった。

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 約30年がたった。堀内さんはその後も会津に関わり続け、震災の年の秋には、会津まつりで鶴ケ城を背に「愛しき日々」を熱唱、風評被害にあえぐ観光・会津の人々を励ました。

 「86年以降、目まぐるしく変わった。本当に感謝している」。東京でインタビューに応じる堀内さんは、「愛しき日々」を語りながら背筋を伸ばす。「白虎隊の物語が素晴らしかったし、歌詞の内容と会津の人たちのまっすぐな生き方、県民性が重なった。だから福島だけでなく、全国的に大成功したんでしょうね」

 ファンも歌も一緒に成長すると堀内さんは信じている。「自分にとって『愛しき日々』はとても大きな存在で、いとしい。あの時代があるから、今があるんだと思う」。そして会津の人々も、震災後の逆境を乗り越えようと、懸命に歩む日々を重ねている。

 愛しき日々 1986(昭和61)年10月にリリースされ、その年の日本テレビ系の年末時代劇「白虎隊」の主題歌として使われた。「白虎隊」は幕末の戊辰戦争での会津藩の悲劇を描いた作品で、年末時代劇シリーズの中で特に人気を博した作品。主題歌も大ヒットし、この曲がきっかけで堀内さんのファンとなった人も多く、代表作の一つとなった。作詞は会津にゆかりのある小椋佳さんが担当した。