回想の戦後70年 漫画・特撮編−(6)田舎暮らし

 

 「帰ってきたのかっ」。1946(昭和21)年、田植えをしていた家族は、戦地から戻ってきた石井二郎さん(94)の姿に驚きの声を上げた。

 天栄村の農家に生まれ育った石井さんは同年6月、中国からの帰還を果たした。船や汽車を乗り継ぎ、最後は鏡石町から数日かけて歩き自宅にたどり着いた。わが家には、ちょうど誰もいなかった。荷物を置き、田んぼに向かうと、家族は田に入っていた。どんな時も、生活に米作りは欠かせなかった。

 米を作っても国に「供出」してお金にせざるを得ず自分たちは米を食べられない--。そんな貧しい戦後を乗り越え、天栄村はおいしい米で有名な村へとブランド力を高めていった。

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 天栄村は羽鳥湖や秘湯が人気を集め、千ヘクタールにわたる田園風景も広がる。その豊かな自然に憧れ、村に移り住んだ男性がいる。漫画家の山本おさむさん(61)。「どんぐりの家」「聖--天才・羽生が恐れた男」などのヒット作を次々と発表してきたベテランだ。

 高校を卒業後30年近く、毎日15時間以上座りっぱなしで漫画を描き続け、心も体もすっかり疲れ果ててしまった2004(平成16)年、妻の両親が生まれた同村の中古住宅を購入した。埼玉県の仕事場から天栄まで、新幹線に乗ればさほどかからない。仕事場と自宅を1週間ごと行き来する生活となった。

 戦後のベビーブーム(1947〜49年)のころに生まれた「団塊の世代」の定年退職が07年に始まると、この世代を中心に首都圏の人たちの「田舎暮らし」への人気が高まった。全国の自治体が都市住民の「定住・2地域居住」の誘致に力を入れ、本県も競争に加わる。県の調べでは、自治体の呼び掛けに応じ県外から県内に移り住んだのは07年が56世帯、10年には72世帯と徐々に増えていった。

 世の流れに先んじていた山本さんは、オニヤンマやカブトムシに目を輝かせ、愛犬と田園風景の中を散歩し、冬には雪深い自然の厳しさに打ちのめされながらも全身で自然を満喫した。都会と仕事で疲れた心や体を解放できた。自らの田舎暮らしの様子は漫画「今日もいい天気」に描いた。

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 11年3月11日。田舎暮らしを楽しむ移住者の生活も例外なく一変した。

 村では放射性物質が検出されない農産物まで風評被害に見舞われた。08年から「日本一のおいしい米を作ろう」と活動してきた天栄米栽培研究会は「放射能汚染ゼロ」を目標に動きだした。

 埼玉に自主避難した山本さんも動きだす。「今日もいい天気」の続編として「原発事故編」を12年から1年間、不安や葛藤、揺れ動く心をそのままに自身の経験を描いた。埼玉では、村で米作りに取り組む農家の講演会を聞き、その様子を取材した。「自分のことばかり描くと一面的になりすぎる。村に残って頑張っている人たちのことも描かなければ」と、「原発事故編」の中で天栄米栽培研究会の取り組みを紹介。作品は13年度の日本漫画家協会賞特別賞を受賞した。

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 山本さんは現在、震災前と同じく、埼玉と天栄を行き来する生活に戻っている。県内へ移り住む人たちの数もまた、少しずつ増えてきた。しかし、県産品への風評被害は、まだ払拭(ふっしょく)しきれてはいない。

 地獄のような戦地からはい上がってきた石井二郎さんの後を継ぎ、米を作り続けている長男の元喜さん(67)は「戦後の苦労は、食べられない苦労だ。それに比べたら、震災後の苦労なんて一緒にできない」と話す。「俺は中学を卒業してから、ずっと米を作ってきたから」と米作りへの自負もある。戦争があり、震災があり、それでも村の人たちは苦難に立ち向かい、米を作り続ける。田舎暮らしに憧れ、移住する人たちを引きつける根幹にあるものは、そういう農村のたくましい生命力なのかもしれない。

 田舎暮らし 団塊の世代の大量退職で諸問題が発生するとして「2007年問題」が注目されたころ、首都圏の退職者らを招き入れようと、全国の自治体で定住・2地域居住を働き掛ける動きが盛んになった。本県は移住希望地ランキングで上位に入る人気の県だったが、震災後、移住者は減少した。しかし、13年にはピーク時の半数以上に戻ってきている。震災支援で本県に関わった人たちが移り住むなど、新しい形の移住者も出てきている。