古里復興支える 新しい「広野」へ、奮闘する住民

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 東京電力福島第1原発事故後の全町避難を経て、復興に向けて歩み始めた広野町では、多くの住民が新しい「広野」のまちづくりを支えている。行政や農業、商業などの各分野で奮闘を続けている住民は、町の将来への希望や古里への思いを胸に秘める。

 事業再開支援へ環境を整えたい

 県商工会連合会復興専門員・金沢咲子さん

 震災直後、商工会会員の安否確認のため各地の避難所を訪れた。無事と分かった時は手を取り合って喜んだ。「広野は地域のつながりが強い。みんなで力を合わせて復興に頑張りたい」と意欲を示す。

 復興需要のある建設業などは事業再開率が高い一方で、小売業は苦戦している。町商工会は5月から宅配サービス「みかんちゃん」をスタート。町内の住宅まで食料品や日用品を届けるほか、高齢者の見守りサービスにもつながると期待されている。「町民が戻りやすいよう、少しでもいい環境を整えたい」と思いを語る。

 4月からは県商工会連合会の復興専門員となり、担当が広がった。広野を拠点に、楢葉と富岡でも事業再開を支援する。「地域と企業の復興には自立が必要になってくる。新しいことにチャレンジする気持ちで道を切り開いていかなければ」と事業者に再起を呼び掛けていく考えだ。

 震災を乗り越えてコメづくりを継続

 新妻有機農園代表・新妻良平さん

 震災翌年からコメの栽培を再開した。「広野のコメ作りが避難した農家の希望になれば」

 脱サラし本格的に農業に取り組んだのは8年前。アヒルを使ったコメの有機栽培にも挑戦し、軌道に乗り始めたころに震災が起きた。全町避難でコメの栽培は一時中断。いち早く再開したが、顧客からの注文は激減した。

 町では昨年、本格的にコメの作付けを再開。新妻さん方には全国からコメの注文が届く。顔ぶれは震災前からずいぶん変わった。

 「(郡内は)厳しい環境なのは間違いないが、だからこそ付加価値を発信するチャンス」と前向きだ。「自分たちの頑張りが復興や住民の帰還につながると信じたい」。今年も青々と稲が茂った自宅前の田んぼには、大きく育ったアヒルたちの鳴き声が響く。

 多彩な催しで元気発信

 がんばっ会会長・鈴木すみさん

 「古里への思いがある。前に進もうとする人が増えてくれたらうれしい」。住民有志で「がんばっ会」を組織。そば打ちや田植え体験会など多彩なイベントを開く。「広野の元気を発信していきたい」

 町の復興計画策定協議会では委員も務めたが、行政の手が届かない部分にこそ、やるべきことがあると感じた。「自分たちで何かやっぺよ」と立ち上がった。

 普段は居酒屋を切り盛りする。「最近は、店近くの家の明かりが増えてきて安心」。町に戻る人が増え、雰囲気が震災前のように明るくなるよう願っている。

 スポーツを交流の場に

 NPO広野みかんクラブ事務局長・大和田幸弘さん

 「スポーツで震災前より楽しい町にしたい」と力を込める。「スポーツで体を動かす機会があれば人が集まってくる」との考えで、スポーツを通じた地域復興を目指す。

 同NPOは2010(平成22)年から広野町で各種スポーツ教室を展開。震災で一時休止したが、12年3月に再開した。双葉郡からの避難者が多い、いわき市での野球教室や仮設住宅での運動不足解消などに取り組んできた。

 各種スポーツ大会「MIKANカップ」には町内外から参加がある。「住民と一緒にスポーツをすれば交流の場になり、広野を好きになってもらえる」と話す。

 東電職員から転身奮闘

 広野町職員・坂本拓貴さん

 震災と原発事故後に高校を卒業し、東京電力社員を経て昨年、町職員となった。経験不足は否めないが「古里復興の力になりたい」と奮闘を続ける。

 東電の技術系職員として2年間、新潟県の柏崎刈羽原発に勤務した。原発事故後、古里の広野には仲が良かった友人たちも徐々に帰還し、復興を支えた。そんな姿を見て「地元に戻りたい」との思いが強まった。

 今は復興企画課の一員として町の復興に携わる。震災後は町職員の業務も膨大になった。それでも「やりがいのある仕事ばかり」と真剣にデスクに向かう。