2015語り継ぐ戦争 戦争の記録劇場上映へ 父が残したフィルム

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田村 修司さん 78 (本宮市)

玉音放送を聴いたラジオを手に当時を振り返り、「毎日が必死だった」と話す田村さん

 ◆田村 修司さん 78 (本宮市)

 隣でうつむき、ラジオから流れる音に聞き入る家族の姿。1945(昭和20)年8月15日の玉音放送を聴き、8歳だった本宮市の田村修司さん(78)は正直、どんな内容なのか分からなかったが、周りの雰囲気で感じ取った。「戦争が終わったんだ」。子どもながらに確信し、「良かった」と思った。

 地べたはい 逃げる  

 当時、同市も空襲の標的となった。同4月に郡是(ぐんぜ)製紙本宮工場が空襲を受けた際、工場から約2キロ離れた本宮国民学校にいた。新学期が始まったばかりで、先生から教科書を受け取っていた。耳を襲う爆音とともに、学校に押し寄せる強風。校舎の窓ガラスが全て割れ、地べたをはいずるように校内を逃げ回ったことをはっきりと覚えている。

 心配だったのは、学校よりも工場に近い位置にあった自宅。慌てて戻ると、工場脇の材木工場で火災が発生し、両親が屋根の上から延焼を阻止しようと水をかけていた。終戦前後の激動期を「毎日が必死だった」と振り返る。

 現在、本宮市で誕生101年目を迎えた本宮映画劇場(愛称・定舞台)で館主を務める。戦中から戦後を見届けてきた場所だ。

 終戦記念日の今月15日、米軍の記録映像として同劇場に残っていた真珠湾攻撃、硫黄島の戦いの様子を上映する。戦後、父親が配給会社から買い取ったフィルムを約7年前、物置から発見した。破損がひどい中で、使用できる部分をつなぎ合わせた。約10分間の映像で、硫黄島の場面は摺鉢山(すりばちやま)の頂上に星条旗を立てる米軍海兵の姿などが収められているという。

 「考えるきっかけに」  

 田村さんは70年前、玉音放送を聴いたラジオに目を向けながら、当時を思い起こし、「あれから70年間、戦争が起こらなかったことは幸せ。手元にある映像を多くの人に見てもらい、戦争について一人一人が考えるきっかけになればいい」と話す。