【 放射線教育(6) 】 古里と東京に"温度差"

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 「東京とは全然違うな」

 玉川大4年の上原孝太(21)=南相馬市出身、原町高卒=は大学1年生だった2012(平成24)年冬、実家に帰省した際に、ニュースで天気予報と一緒に県内各地の空間放射線量の情報が流れているのを見て、そう感じた。それから3年近くが経過した今、孝太は古里と東京の温度差を一層強く感じている。

 気を使われていた

 震災後の11年、法務省には「避難先で保育園への入園を断られた」などと、県民に対する偏見や差別に関する相談が寄せられた。

 孝太は幸い、そうした偏見に出くわす機会はなかった。大学に入学してすぐ、クラスの自己紹介で福島県出身と告げると幾分ざわついたが、それだけだった。入学から約1年後、親しい友人には「福島のことを聞いちゃいけないと思っていた」と言われ、気を使われていたことに気付いた。

 身の回りで露骨な差別はないにしても、本県への理解が進んでいるとは思えない。友人らとの会話で原発事故被災地が話題に上ることはほとんどないし、周りの関心は薄れつつあるように感じる。自身にしても、就職活動などに追われ、3月11日を除いて被災地にことさら思いを巡らすことは少なくなってきている。

 東京で福島県のことは、福島第1原発の汚染水問題など負の側面ばかりが報じられると感じる。日常生活が伝わることはほとんどなく「無関心の上にマイナスイメージばかり積み重なっている」と思う。

 関心持つ人はいる

 都内に避難者支援拠点を昨秋開所させた南相馬市の市民団体「ベテランママの会」代表の番場さち子(54)は、都内で事務所を探していた時に「福島の人には貸せない」と断られた。「中にはそういう露骨な人もいる。『被災地支援だ』と応援してくれる人もいるのに」と、苦労したことが頭を離れない。ただ、震災後の本県を取り巻く現状を詳しく説明する本が売れるなど、少なからず関心を持っている人はいる--というのが番場の見方だ。

 番場らは今、南相馬市立総合病院などに勤務する医師坪倉正治(33)らと連携、市内の小中学校の放射線教育をさらに充実することができないか模索している。「正しい情報を発信するには、まず地元から。地元の人が福島県のことを説明できるようにならないと」と番場は思う。(文中敬称略)