【水戸街道・全2回(1)】 「釜子に陣屋」歴史脈々

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越後高田藩の陣屋が置かれ栄えた釜子宿。歴史を伝えようと住民の取り組みが続いている

 矢吹町の矢吹宿を起点に奥州街道から分岐し、水戸城下へとつながる水戸街道。奥州街道や東海道など江戸時代の主要交通路の五街道に準ずる脇街道の一つで、常磐太田街道とも称された。

 茨城県側からは棚倉街道と呼ばれた道を分岐点からスタートすることにした。歩みを進め、すぐの丁字路交差点の角で、石製の大きな灯籠のような物を見つけた。近くにある木製の道しるべに「水戸街道分岐点」、看板には「旧水戸街道常夜燈(じょうやとう)」と書かれていた。

 常夜燈は江戸時代、宿場の入り口や交差点の中央に設置され、夜の道を照らし、旅人の道しるべとなった。その温かな光は旅人の心を慰めた。灯がともることがなくなった今も、旅人の心の支えになってくれている。

 常夜燈を背に歩き始めて数百メートルでJR東北線に行き当たる。線路の向こうに道が続いているのが見える。時代の移り変わりに伴い線路で道が寸断されたようだ。

 「道路開発や街灯の整備で常夜燈は姿を消した。石製の常夜燈が残っているのは珍しい」と地元の歴史に詳しい同町の藤田正雄さん(81)が教えてくれた。

 この常夜燈も道路開発であちこちに移設されたが、藤田さんら有志が「元あった場所の近くに戻して町の歴史を後世に伝えよう」と尽力し、約3年前に現在の場所に移した経緯があるという。

 引き返して別のルートで次の宿駅を目指すこともできるが、常夜燈のおかげで旅の入り口を見つけられたのだ。少し遠回りとなるが、線路の向こうに続く道を歩むことにした。

 川原田宿のあった中島村を抜けると、阿武隈川に架かる常陸橋に差し掛かった。橋がなかったころは舟で渡っていたという。先人の苦労を思い、眼下に広がる川を見下ろしながら橋を渡る。

 さらに歩みを進め釜子宿のあった白河市東釜子へ。釜子地区は1741(寛保元)年から約130年間、領地替えに伴い越後高田藩の飛び領地となり、陣屋が置かれたことで栄えた。

 現在の県道の中央には当時、水路があり、馬に水を飲ませたり体を洗うために使われた。通りに並ぶ近代的な住宅の中に点在する蔵が名残を感じさせる。

 陣屋があった場所は江戸時代から続く老舗の酒蔵「有賀醸造」の裏にあたる。有賀醸造の店内には、代官のお抱え商人だったことを示す「御用」と書かれた木製の札が2枚飾られている。

 約20年前、地元の人たちが陣屋を再建しようと試みたことがあったという。「町並みを再現してにぎわいを取り戻し、後世に陣屋があったことを伝えたかった」。有賀醸造社長の有賀義裕さん(62)は当時を振り返る。

 現在、陣屋の跡地には看板が一つ設置されているだけ。陣屋の土地が広く、資金確保や用地交渉がうまくいかなかったため、再建できなかったという。

 陣屋を諦めても、歴史を伝えようとする地域住民の地道な取り組みは続いている。

 菓子店「坂本屋総本店」は包装紙に陣屋の絵地図を使った越前高田藩ゆかりの銘菓「おきな餅」を販売しており、有賀醸造はラベルに越前高田藩の家紋をあしらった大吟醸「陣屋」を造っている。有賀さんは「後世に釜子地区の歴史を伝えたい」と話す。

 郷土愛にあふれた地域住民の取り組みで、水戸街道沿いの歴史は脈々と受け継がれていた。かつての宿場の姿を想像しながら棚倉町へと続く街道を見つめた。

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 【 記者の「寄り道」スポット 】

 明治時代に宮様や財界の名士らがキジ猟を楽しむ宮内省の御猟場があったことから矢吹町は「きじの里」と言われている。結婚式など「ハレの日」に近くの住民を招いて「きじそば」を振る舞い、みんなで祝う風習があった。あゆり温泉(電話0248・42・2615)の食堂のきじせいろそば(税込み950円)=写真=は程よく身の締まったキジ肉がおいしい。

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 中島村は音楽プロデューサー小室哲哉さんの祖父徳次さんの出身地。同村滑津の童里夢(どりむ)公園には、小室さんが同公園の完成を記念して贈ったカラクリ時計「ヨカッペ時計」=写真=がある。決まった時刻になると、村の指定文化財「奥州汗かき地蔵」の祭り太鼓を小室さんがアレンジして作った曲が流れる。

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 白河市東釜子の坂本屋総本店(電話0248・34・2014)は創業150年の老舗菓子店。人気のきつねうち温泉まんじゅう(税込み130円)=写真=は、北海道産の小豆を使ったこしあんが黒糖の皮にぎっしり詰まっている。甘さは控えめで、もちもちした食感が楽しい。

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