【岩城街道・全2回(2)】 政治の中心 戊辰戦場に

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街道のほぼ中央に位置する仁井町宿。三春城下に次ぐ政治、経済、文化の中心としてにぎわった

 岩城街道をたどる旅はいわき市三和町の上三坂宿から歩みを始め、国道349号を小野町に向かって進む。

 旧街道は国道と付いたり離れたりを繰り返しながら小野町へと通じる。国道を右に折れ、夏井川に架かる橋を渡ると、同町の仁井町宿に着く。

 いわき市と郡山市のほぼ中間に位置する宿場はかつて、三春城下に次ぐ政治、経済、文化の中心をなした。町の中心部からは四方に道が延び、三春町、田村市船引町、須賀川市、いわき市へと続いている。

 町の歴史を知りたくなり、ふくしまけん街道交流会の世話人、高橋宗彦さん(64)を訪ねると、大正時代の住宅地図を示しながら「仁井町宿は旅館や茶屋などが立ち並ぶ大きな繁華街だった」と教えてくれた。

 町の中心部を通る道筋は現在とほぼ同じだが、地図にある道沿いには商店や旅館などがびっしりと立ち並ぶ。町中で往時の面影を探そうにも、ほとんどの建物が現代的な外観に変わり、旅館など数軒が宿場の名残を伝えるだけだ。

 仁井町宿は戊辰戦争の戦場になった。「町の人もあまり知らない街道の歴史を知ってほしい」と高橋さんは話す。

 1868(明治元)年、三春藩や二本松藩などの東軍と官軍が戦火を交えた。当時、笠間藩(茨城県笠間市)の飛び地だった仁井町宿は官軍に協力。町民で組織した農民兵が、上三坂宿から街道を北上する官軍兵の道案内や食料調達などの役割を担ったという。

 宿場を後に街道をさらに進んだ。「岩城街道中最モ嶮坂(けんぱん)ニシテ行旅(こうりょ)ノ難所ナリ」と田村郡郷土史に記された風越峠を抜けると、田村市大越町の牧野に至る。

 牧野から同市船引町の門沢、堀越、遠山沢、芦沢と続く街道筋には身の丈4メートルほどの「お人形様」が点在する。

 お人形様は災いや悪疫を防ぐ魔よけの神様として、江戸時代からまつられていたと伝わる。かつては5体が立っていたが、現在は同市船引町の屋形、朴橋、堀越の各地区に3体が残る。

 屋形地区のお人形様は街道を見下ろす高台に立つ。高台へと通じる坂道を上ると、かっと目を見開いた鬼のような形相が飛び込んできた。この迫力でにらまれたら疫病も逃げ出すに違いない。かつての旅人もさぞかし驚いただろうと思いを巡らせた。

 旧街道は三春城下への入り口の三春町庚申坂(こうしんざか)を前に途切れるため、国道288号を渡って城下に入った。国道から坂道を下ると、三春城南側に達する。坂の途中で「化粧(けわい)清水」という古い井戸を見つけた。井戸近くの坂道は「化粧坂」と呼ばれ、現在も地名として残る。

 街道から城下に入る人々がこの井戸で化粧を直したことからその名が付いた。身支度を整えた旅人はにぎわう城下に繰り出したのだろうか。かつて交易の要の城下は、旅人にとって特別な場所だったのかもしれない。

 道沿いにある菓子店「三春昭進堂」に立ち寄ると、店主の高橋龍一さん(51)が町の歴史を話してくれた。

 町内には今でも屋号を持つ家が数多くある。城下では明治時代の中ごろから盛んに馬市が開かれてきた。町民は各地から訪れた業者を泊める民宿を営み、その際、屋号が使われていた。

 「年配の人は今でも屋号で呼び合ったりする」と高橋さん。「相模屋さんとこの誰々は...」。住民同士の会話から城下町に息づく歴史を感じた。

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 【 記者の「寄り道」スポット 】

 小野町小野新町にある仙台屋食堂(電話0247・72・2628)は行列ができる人気店だ。メニューは中華そば(税込み600円)=写真=と中華そば大盛り(同700円)の二つ。しょうゆ味のあっさりとしたスープと自家製めんはやみつきになる。普通盛りでもめんの量は300グラム(大盛り450グラム)と満足感は文句なし。日曜日定休。

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 屋形地区のお人形様写真=は田村市船引町の高台にまつられている。お面は木彫りでベンガラや胡粉(ごふん)などで彩色され、胴体にはワラなどが使われ、頭のたてがみやひげは杉の葉などで作られている。毎年4月に地区の保存会が、お面を塗り直したり髪や衣などを新調する「衣替え」を行っている。お人形様の習俗は県無形民俗文化財に指定されている。

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 三春町字新町にある三春昭進堂(電話0247・62・2272)の人気商品は「三春名物 おたりまんじゅう」(1個税別80円)=写真。地元のみそとしょうゆを使った薄皮のみそまんじゅうで、素朴な味わいが好まれる。ほかにも煎餅の「おたりやき」(同60円)、あんパン風まんじゅうの「おたりパン」(同140円)なども販売している。火曜日定休。

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