触れ合い支えに"感謝" 川内の三瓶さん「話し相手ほしい」

 

 川内村の三瓶チヨさん(90)は「要支援1」認定を受け、週1回はホームヘルパー、月2回はデイサービスを利用している。1人暮らしのため、介護スタッフやデイサービス利用者との会話が楽しみだ。「みんなに生かされている」と支えに感謝する。

 三瓶さんは1997(平成9)年に夫を亡くして以来、1人暮らし。身の回りのことは自分でこなし、急勾配の自宅前の道を歩いてゲートボールや買い物に通うなど積極的に外出していた。しかし、原発事故に伴う避難後、2012年11月に帰村するまで、茨城県の孫家族宅や郡山市の借り上げ住宅での生活で外出する機会は激減。帰村したころには足腰が弱り、外出することがままならなくなった。

 「人と話すことも健康の一つだと思うが、外出できなくなり、話し相手が少なくなった」。自分の声が出なくなっているのかどうかさえ、分からなくなるという。自宅を訪れるヘルパーには「来たときには、少しでも話し相手になってほしい」と頼んでいる。

 「今の生活に大きな不安はないが、震災前は歩けていたのに、それができない自分に驚いている」。帰村した人の多くを占める高齢者への支援は重要度を増している。

 

 大熊の新田さん、施設再開で復帰

 会津若松市の松長近隣公園応急仮設住宅敷地内にある大熊町の高齢者のデイサービスセンター「サンライトおおくま」。管理者兼相談員として働く新田恵さん(38)は震災で一時、解雇されたが、同市で施設が再開したことから、再び職員として働いている。

 2011(平成23)年10月、同市に仮施設を開所した。施設の利用者は少しずつ減少し、現在は十数人が通う。利用者は減ったものの、自由に出歩けない高齢者にとって、古里のつながりを分かち合える憩いの場所に変わりはない。

 新田さんは震災時、家族と離れ利用者の世話に当たり続けた。「家族のような場所だった」。町にいたころから数えて10年以上務めてきた介護の仕事への思いは強い。

 震災から月日がたち、雪国・会津から、いわき市に移り住む町民は多い。町民が増えるいわき市に施設の再建も検討したが、立地条件や職員の確保が難しく断念した。

 新田さんは「1年目は、ただ前に進むしかなかった。時間が過ぎ、今後どうすればいいのか、という気持ちは強くなっている」と話す。自分の生活拠点、施設の在り方は、いまだに見えないままだ。