【私が描く「未来」・八重樫淳さん】 消防士として人を守る

 

 2011(平成23)年3月11日。東日本大震災があった「あの日」は、県内の多くの中学校が卒業式だった。卒業生たちは新年度に20歳を迎え、新成人となる。震災、そして東京電力福島第1原発事故を経験し、過ごしてきた4年間。未曽有の災害を契機として、進学、就職先を決めた人も数多い。卒業生たちは、それぞれの道を歩みながら、古里再生の担い手として「20歳の復興」を思い描く。

 「震災を経験して、故郷のいわきが好きなんだということに気が付いた」。消防士として、昨年10月から、いわき市の勿来消防署に勤務する。

 植田中の卒業式後、友人と近くの鮫川河川敷で遊んでいた時、地震に遭遇。大きな揺れから津波が来るだろうと思い、急いで高台に逃げた。避難の途中、河川敷に津波が遡上(そじょう)していくのを見下ろした。内陸部にあった自宅は、幸い大きな被害はなかったが、落ちた瓦の片付けなどを手伝った。

 中学時代は柔道に打ち込んだが、平工高入学後はラグビー部に入部した。「小さい者が大きな者を倒すことができるのがラグビー」と顧問から言われたのが始めるきっかけだった。3年間で2度、全国大会に出場した。「ラグビーを通じて忍耐力と向上心を学んだ」と振り返る。

 小さいころから人を助ける警察官や自衛官、消防士に憧れていた。進路選択の時期を迎え、「地域に一番密着している仕事」と消防士の道を選んだ。

 「学生時代との大きな違いは、全てが仕事だということ。でも、事務処理など覚えることもたくさんあり、ずっと勉強」と感じている。「消火活動だけでなく、予防活動なども消防にとっては重要な仕事。将来は人を守れる消防士になりたい」と誓う。