【奥州街道・全6回(3)】 受け継がれる"俳諧の心"

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須賀川市本町の旧街道から西側に折れた辺りには大正、昭和初期の面影を宿す家並みが残る

 旧街道の旅は矢吹町に入り北上する。ヘアピンカーブの七曲がりの峠を越えると大和久宿の道標があった。次の中畑新田からは、矢吹の市街地まで平らで真っすぐな道がJR東北線と並んで延びる。

 矢吹駅に近い本町では、旧街道を挟み洋館と純和風の建物が「お見合い」していた。洋館は元医院を保存した「大正ロマンの館」。和風の建物は日本酒の蔵元「大木代吉本店」の店舗。この蔵元は1865(慶応元)年創業の老舗で当主は代々「大木代吉」を襲名する。純米酒造りの先駆けとしても知られ、現在の当主は5代目。

 矢吹周辺は東日本大震災の際、建物の被害が大きかった地域で、特に古い蔵の被害は甚大だったという。先代(現会長)大木代吉夫人で現当主の母洋子さん(72)は「うちの15棟あった蔵は、14棟が全壊を含め、ひどくやられた。仕込み蔵の被害が比較的小さかったため、酒造りを途絶えさせずに済んだ」と話す。

 震災から4年を経て蔵の再建は進み、今は、明治に建てられた母屋の大規模修復が大詰め。周りでは被災した昔の建物が次々と解体されるが「うちは明治の面影を残そうと決めた」と洋子さん。老舗の意地が街道の景観を支える。

 旧街道は、矢吹町北町で国道4号に合流。ほどなくして鏡石町に入った後、再び国道から西へそれる。細くなった旧街道沿いには久来石(きゅうらいし)(鏡石町)、笠石(同町)の集落。集落同士の間には、田植え前の枯れ田が広がり、ため池が点在していた。

 俳聖松尾芭蕉の「おくのほそ道」には、「影沼」という所に行ったが、曇りで物影は映らなかった―とある。影沼は「逃げ水」ともいわれる小さな蜃気楼(しんきろう)に似た現象で、芭蕉が訪れたのは鏡石付近だという。国道4号沿いには、この影沼を指すのか「鏡沼(かげ沼)跡」への案内板があった。表示に従い西へしばらく行くと、田んぼの真ん中に小さな公園がぽつり。公園内の案内板によると、この地には、鏡沼という実体のある沼がかつてあり、悲恋物語が伝わる。鏡沼と影沼の関係は判然としないが、「虚実」二つの沼の伝承が重なり合っているようだ。

 須賀川宿(須賀川市)は「みちのく」を巡った芭蕉が県内で最も長く滞在した街だ。江戸時代、商人らが力を持ち、町人文化が花開いたこの町で俳聖は8日間、俳人相楽等躬(さがらとうきゅう)らの元に身を寄せ、俳諧を楽しんだ。

 等躬は米や油、綿を扱う諸色(しょしき)問屋の主人。本町の店と屋敷は旧街道に面し、今も周辺には芭蕉の足跡を記す旧跡と風情が残る。店々には俳句を記した「軒あんどん」がともり、芭蕉が交流した隠せいの僧可伸(かしん)の庵(いおり)跡には「世の人の見付けぬ花や軒の栗」の句碑がひっそりとあった。

 等躬の屋敷跡にある同市芭蕉記念館の職員高橋亜純さん(46)は「住民の先祖には俳諧をやっていた人が多い。何百年にもわたり『俳諧の街』が脈々と受け継がれている」と話す。俳句ポストは、市が設けただけで24カ所。本年度は全小中学校への配置が完了するという。

 ただ、芭蕉好みの風流な味わいは、須賀川の一面にすぎない。旧街道を須賀川駅方面に歩き、そう実感した。沿道ではウルトラマンら、同市出身の「特撮の神様」円谷英二が生んだヒーローと怪獣の像が存在感を発揮している。

 そういえば、高橋さんは、須賀川を「良い意味で商人気質の街」とも評していた。今も昔も遊び心たっぷり。旅人をもてなさなければ気が済まないようだ。

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【 記者の「寄り道」スポット 】

 大木代吉本店(電話0248・44・3161)=写真=の純米酒造りは1974(昭和49)年から。「自然郷」のブランドで自然の味わいが生きた日本酒を生産する。アミノ酸に富む特性を生かした料理酒も人気。
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 須賀川市、鏡石町など岩瀬地域は全国トップ級のキュウリ産地。このキュウリを練り込んだ「きゅうり麺」を特製のみそ、スープで楽しむかっぱ麺=写真は、同市の約20店舗で食べられる。冷たい麺が中心だが、つれづれ庵(電話0248・76・1288)の「温かかっぱ麺」(税込み880円、今月下旬まで)など季節限定メニューも。

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 須賀川牡丹園は花のシーズンを迎え28日に有料オープン。290種、7000株のボタンが咲き誇る。見ごろは5月上旬から下旬。問い合わせは同園保勝会(電話0248・73・2422)へ。

 ウルトラマンと怪獣のモニュメント=写真=は須賀川市が2月、同市の松明通り(旧街道)沿いに4体(ウルトラマン、ウルトラセブン、ゴモラ、エレキング)設置。2013(平成25)年にはJR須賀川駅前にウルトラマンの像が登場。

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