【復興の道標・放射線教育】安全性伝える知識必要 相馬農高生が実感

 

 「私の家には小さい子どもがいるので、福島産の野菜は買わない」

 南相馬市原町区の相馬農高に通う2年生の女子生徒(17)は、学校で育てた野菜を訪問販売する実習で原町区のある家庭を訪れた際、孫がいる女性から言われたひと言が今も脳裏から離れない。「原発事故から5年も過ぎたのに...」。同生徒はその日から「安全・安心とは何か」を常に自問してきた。

 1986年に起きたチェルノブイリ原発事故。復興を果たしたベラルーシの農業を学びたい。そう思い、同生徒はこの夏、訪問団に参加した。南部のゴメリ地区にあるゴメリ大を訪れ、生物学部長のビクトル・アベリン(63)と懇談する機会を得た。

 「ベラルーシでは飼料作物から放射性物質が検出されていたのでしょうか。どんな対策を取ったのですか」。懇談で同生徒は、農畜産物の安全確保の取り組みについて熱心に尋ねた。

 アベリンは「体内で放射性物質がどのような動きをするのかが重要。もし(福島県の)高校と共同プロジェクトができるなら、自分のこれまでの研究成果を伝えたい」と熱意に応えた。

 またアベリンは「原発事故や核実験では、農業が最大の被害を受ける」と説明。原発事故以降、放射線や土地の回復について研究を重ねてきたアベリンは、高校生からの矢継ぎ早の質問に答え、国民が未曽有の災害にどう向き合ってきたのかを伝えた。「福島の原発事故の問題は絶対に解決できる」。次世代を担う本県の高校生を励ました。

 訪問で得た知識や経験について同生徒は「事故から30年以上過ぎても、安全性を伝えるには信頼されないとならない。ベラルーシの放射線研究サークルのように、自分が所属する農業クラブでも放射線を学び、幅広い年代に伝えていく活動をしていかなくては」と話す。

 相馬農高生産環境科の作物専攻班で主食のコメ、野菜について学んでおり、将来は農業関係の仕事を志す。

 「生産者として説得力を持つためにも、きちんとした知識が必要だ」。本県の農業を担う若者は、心の葛藤を乗り越え、将来へ大きな一歩を踏み出した。

(文中敬称略)