【 相馬・クロスロード田町 】 あの時も店を続けた 不安を和らげる

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店内で震災当時を振り返る猪又さん。こだわりの肉や揚げ物などが並ぶ

 2011(平成23)年3月。屋根の形などに城下町の風情を漂わせる相馬市クロスロード田町の一角。店先から「ジュワジュワ」「パチパチ」と、揚げ物をする音が響いた。鳥久精肉店は、東日本大震災発生当日も店を続けた。大型店を含め周囲ですぐに再開できた店はなく、12日以降も連日50メートルを超す行列ができた。不安を抱える市民は、揚げ物の優しい音とにおいでやすらいだ。

 身動きできないほどの客が訪れ、20人程度ずつ繰り返し店に入れた。用意した商品は瞬く間に売れ、同店の会長猪又輝雄さん(73)は店先にフライヤーを出し、詰め掛ける客のためにから揚げやコロッケを揚げ続けた。

 「被害も少なく、陳列などを直してすぐ再開できた。訪れた人から『やっていてくれて良かった』『助かった』という声をもらった。やって良かった」

 当時、肉類の大手仕入れ先は、相馬地方に入ってはならないという規制が出ていたという。猪又さんは友人の助力を受け、毎夜車を飛ばして仙台まで仕入れに行った。「品切れにしてはならない。頼って来てくれる人たちのためにという気持ちだった」。店は市の災害時協力の指定店になっており、各小中学校の避難所などで提供するゆでたまごやカレーなどの炊き出しも1カ月ほど続けた。

 ◆地域のために

 鳥久精肉店から通りを挟んだ向かい。東邦銀行相馬支店にも、津波や東京電力福島第1原発事故で避難した被災者が詰め掛けた。避難生活に必要な当座の資金を引き出すためだ。

 通帳などを持たずに避難した人もいたが、当時支店長を務めていた安藤利之さん(58)=現須賀川支店長=が直接住所などを確認して対応した。「あの当時、だましている人はいないと思った」。本人のみが知っている情報を聞き出し払い戻しに応じた。

 相馬支店は震災翌日から払い戻しを始めるため、11日夕、本部に億単位で資金調達を依頼し、夜のうちに運び込んだ。一時は通信や現金自動預払機(ATM)も使えなくなった。緊急払い戻しは原発事故で支店の一時閉鎖が決まる14日まで続いた。

 23日に相双地区で一番早く営業を再開させると、普段の3倍近い客が訪れ、本部からの応援も受け対応した。「最善の対応ができたと思う。銀行が地域全体の役に立てたと感じた」。安藤さんは笑顔で振り返る。

 「あの時はありがとうね」。猪又さんや安藤さんの元には震災から6年以上たった今も感謝の声が寄せられている。多くの商店街と同様、田町商店街周辺でも一時期と比べ商店の数は半分程度に減った。それでも、当時の商店街の温かみは、人々の心に刻まれている。

 昼食時や夕食前、鳥久精肉店には多くの買い物客が足を運ぶ。猪又さんは通りを見ながら語る。「来て喜ばれる店に。顔の見える商売を続けていきたい」

相馬・クロスロード田町

 ≫≫≫ ちょっと寄り道 ≪≪≪

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相馬・クロスロード田町

〔写真〕多彩な菓子が人気の「船橋屋本店」