【 いわきとアート(下) 】 多様さ生み育む『潮目』 本物を求めて

 
山野辺さんらが作った器でコーヒーなども楽しめるギャラリーヤマノベ

 東北と関東の境に位置するいわき市。沖には黒潮と親潮が交わる「潮目の海」が広がる。「文化の面でも潮目。古いものに縛られず、新しいものに積極的。いろんな文化を受け入れることを当たり前にやってきた」。いわき市立美術館の佐々木吉晴館長(61)は、同市をそう表現する。

 同美術館は1984(昭和59)年に開館し、現代美術を収集の柱とする。入り口前には、20世紀を代表する英国の彫刻家ヘンリー・ムーアの「横たわる人体・手」が置かれている。周辺の景色になじみながら、目立ちすぎず静かな存在感を放つ。JRいわき駅、湯本駅の周辺など市内には数多くの彫刻がある。しかし、なぜこの場所にヘンリー・ムーアなのか。

 76年、同市に「いわき市民ギャラリー」という団体が設立された。「いわきには文化がない。おもしろくしたい」。そんな若者が集まった。画家の故松田松雄(岩手県出身)、陶芸家の故緑川宏樹(東京都出身)ら市外から移り住んだ若い作家などが同市平南町にあった「草野美術ホール」や画廊喫茶「珈琲門(コーヒーもん)」に集まっては熱い談議を重ねた。

 行動を共にしていた元市職員佐藤英介さん(76)は「音楽でいえば、東京といわきでは同じ楽団のコンサートでも『音が違う』という話があった。いわきはバカにされていると思った。だから自分たちの手でいわきに『本物』を持ってこよう、となった」と当時を語る。金のない若者たちが目を付けたのは現代美術。作家が有名だから、作品が高価だから素晴らしいのではない。質の高い「本物」を求めた。

 ◆市民運動の熱

 行政を頼らず自分たちで活動資金を集めた。78年には巡回展のヘンリー・ムーア展を誘致。市文化センターで開催、23日間で2万2000人以上が来場した。ここから市立美術館建設の機運が盛り上がった。市立美術館の入り口前のヘンリー・ムーアは市民ギャラリーのモニュメントでもある。

 「市民運動からできた美術館は全国でもここだけじゃないか」。当時、珈琲門のマスターとして見守っていた、ギャラリー界隈のオーナー佐藤繁忠さん(73)は、いわきの芸術文化に胸を張る。「いわき市民美術展は県(の美術展)よりレベルが高いと言われた時代もあったんだ」

 市内には、活動する作家も、発表する場も多い。繁忠さんが設立に関わった「いわきアート集団」は、幅広いジャンルの作家や応援者らが集まり、多彩な企画を繰り広げながら市内芸術界を刺激する。市街地でも中山間地でも、異なる団体の主催により、地域全体を美術館に見立てた芸術祭が開かれている。「互いに評価し合い、交流もあるが、別々に多様な美術表現や活動を展開している。その多様性がいわきの魅力」と佐々木館長。

 ヘンリー・ムーア展から40年余。まちを見渡せばアートがあふれている、というわけではない。しかし当時の若者たちの芸術への熱はゆっくりといわきの土に染み込んでいる。「横たわる人体」の寝心地は案外いいのかもしれない。

いわきとアート(下)

 ≫≫≫ ちょっと寄り道 ≪≪≪

 【カフェで作家の器楽しめる】いわき市平鍛冶町の「GALLERY YAMANOBE(ギャラリーヤマノベ)」は、同市大久町にアトリエを構える陶芸家山野辺孝さん、ガラス作家能登朝奈さん夫妻の店。店内にカフェスペースもあり、実際に山野辺さんらの器を使って楽しめる。営業は木、金、土曜日の正午~午後6時。作品展前など不定休。

いわきとアート(下)

〔写真〕山野辺さんらが作った器でコーヒーなども楽しめるギャラリーヤマノベ