【 福島・土湯温泉(下) 】 荒波を越えて悠然と 温泉街のシンボル
土湯温泉のシンボルこけし。街を歩けば、いたるところで、あの独特の微笑(ほほえ)みを浮かべた表情に出くわす。国道115号から温泉街へと延びる急な坂道を500メートルほど下ると、高さ3メートルの巨大こけしが出迎えてくれる。こけしの細長いシルエットをモチーフにしたモニュメントも多い。土湯の風土を詠み込んだ和歌を刻む碑も、全てこけし型だ。
土湯で19歳からこけしを作り続けている工人阿部国敏さん(45)は、伝統こけし界で今、注目を浴びる存在。全国の工人たちが腕を競う全国こけし祭りコンクールで2016(平成28)年、最高賞の文部科学大臣賞を受賞。作品は人気を集め、3カ月の予約待ちになっている。目指すのは「昔ながらのこけし」。「きれいなものを追求してるんじゃないんです。何か引き付けるものを持っているこけしを作りたい」
◆鯨目受け継ぐ
穏やかな阿部さんだが、創作する姿には緊張感が漂う。素材となる白木を取り付けたロクロを回しながら、胴体を削り出していく。さらにロクロを回転させながら、別に作った頭部を胴体にはめ込むと、摩擦熱で煙が立ち上った。冷めると木が引き締まり、頭部と胴体は外れることがないという。
家でこけしを作るようになり、阿部さんで6代目。代々作ってきたこけしには、表情に特徴がある。目は泳いでいるクジラのように見えることから「鯨目」と言われる。
先祖の詳しい記録は残っていない。「火事で昔のこけしも文書も全部焼けてしまった」と阿部さんは言う。
土湯は何度も水害や火災に見舞われてきた。荒川の氾濫や周辺の土砂崩れで家屋が流失し、浴場が泥に埋まったこともあった。1954(昭和29)年には街を焼き尽くす大火もあった。
阿部家が営んできた「まつや」。増築を重ねているが、54年の大火後に建てられた部分は石造りだ。
丈夫な石で造られた家には、土湯に根をはり続けようとする強い決意が秘められているようにも思えるが、阿部さんは「ほかに行くところも、行けるところもなかったんでしょう。被害にあってもこの場所が良かったし、ここが好き。それだけのこと」と力みがない。
さまざまな困難を経験しながらも、ゆったりと構える土湯の人々と、大海を悠然と渡るクジラが重なって見えた。
≫≫≫ ちょっと寄り道 ≪≪≪
【聖徳太子の伝説が残る地】長い歴史を持つ土湯温泉には、多くの伝説がある。聖徳太子もゆかりの人物の一人。温泉街を見渡す山の中腹には市指定有形民俗文化財の木像聖徳太子立像を安置する聖徳太子堂がある。境内には「県緑の文化財」となっているシダレザクラの古木があり、春の満開の様子は必見だ。太子堂の先には、薬師如来とこけし工人の祖惟喬親王をまつる薬師こけし堂がある。
〔写真〕冬は寂しげな境内も、春には満開のシダレザクラで彩られる
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