【 南会津・水引集落(上) 】 何もない...それが良い 日本の原風景

 
山あいにかやぶき屋根の家屋が並び、日本の原風景が広がる水引集落

 山あいに静かにたたずむかやぶき屋根の家並みが郷愁を誘う。集落の中心を走る県道に車の往来はほとんどなく、あちこちから聞こえるスズムシの鳴き声が深まる秋の気配を感じさせる。昔話に出てくるような日本の原風景に心を奪われる。

 南会津町と栃木県の境界付近にある水引集落。入り口近くに置かれた案内板に目を向ける。室町時代の文安年間(1444~49年)ごろ、3人の猟師がこんこんと湧き出る清水に魅了されて住み着いたのが始まりとされ、集落の名の由来となったようだ。今も集落に残る石造りの水がめは常に清らかな湧き水で満たされ、「軟らかくてお茶を入れるのに最適」と住民たちが水をくみに訪れる。昔から変わらない生活が息づいている。

 案内板には、現存するかやぶき屋根の家屋は7軒と記されている。1886(明治19)年と1896年の2度にわたり全村が焼失する大火に見舞われたが、明治期に再建を果たしたという。大半が母屋と馬屋がL字形につながった「中門(ちゅうもん)造り(曲家(まがりや))」と呼ばれる雪国ならではの独特の建築様式だ。農作業に欠かせない馬と住民が一つ屋根の下に暮らしてきた歴史の面影を残している。

 ◆維持管理に壁

 「何もないけれど、美しい場所でしょう」。かやぶき屋根の家屋に1人で暮らす五十嵐恵子さん(85)は、時間が止まったかのようなのどかな風景が自慢だ。22歳で別の集落から嫁いだ当時は「水引は交通の便も悪く、嫁ぐのが嫌で親を困らせたほどだった」。20年ほど前に亡くなった夫の政一さんとコメやソバを栽培しながら3人の子どもを育てる中で「つらい時にかやぶき屋根を見上げると、どこか心が温かくなった」と集落への愛情が深まった。

 五十嵐さんが集落の様子の移り変わりを教えてくれた。かつては集落にある家屋約30軒の多くがかやぶき屋根だったが、昭和の半ばごろからトタン屋根へ変わっていったという。若い世代が仕事を求めて集落を離れたため、カヤを刈る労働力が不足。屋根全面をふき替える費用も数百万円かかり、維持管理が大変というのがその理由のようだ。五十嵐さんは、傷んだ部分だけを補修しながら維持してきた。

 高齢化が進み、今や集落の住民の大半が70歳を超えているという。7軒残るかやぶき屋根の家屋のうち、3軒は継ぐ人がいないなどの理由で空き家となり、荒廃していくことが心配されている。「年寄りばかりになったけれど、知恵を出し合えば集落を守っていけるはず。これほど雪深い所で不便な時代も生き抜いてきたんだから」。五十嵐さんは力強いまなざしで集落の存続を見据えた。

南会津・水引集落

 ≫≫≫ ちょっと寄り道 ≪≪≪

 【湧き水使いゆっくりあく抜き】水引集落の入り口付近に店を構えるやまこは、昔ながらの製法で仕込んだ栃(とち)餅を販売している。集落の湧き水を使いゆっくりとあく抜きすることで、素朴な甘みとほろ苦さが残る味わいが生まれるという。価格は10個入り(約500グラム)で1000円(税込み)。事前予約が必要となる。

南会津・水引集落

〔写真〕伝統の栃餅を販売する「やまこ」