【食物語・ソースカツ丼(上)】 会津のソウルフード 未知との遭遇

 
店独自にブレンドされたソースで味付けされた会津のソースカツ丼(税込み1050円)。ソースの照り、カツの下に敷いた千切りキャベツが個性を際立たせる=会津若松市上町「なかじま」

 1971(昭和46)年の正月だったと思う。記者が家族と北関東から父親の実家の会津に帰省した際、会津若松市内、中合百貨店近くの小さな食堂での出来事だ。

 小学生だった記者は、カツ丼を注文した。しょうゆのだしと溶き卵で煮込んだトンカツをご飯にのせた、あのカツ丼を。

 ところが、出てきた丼のふたをあけたとたん、衝撃を受けた。

 丼の中には、中濃ソースをかけた普通のトンカツ。カツとご飯の間には千切りキャベツ。「これはカツ丼じゃない」。それがソースカツ丼との初の遭遇だった。

 ◆伝統継ぐ自負

 ソースカツ丼はトンカツを、しょうゆではなく洋風のソースで味付けした丼物(どんぶりもの)。しょうゆ味の煮込みカツ丼が一般的なのに対し、会津や福井県、長野県の駒ケ根、伊那両市などの「ご当地グルメ」として知られている。

 ソースは、ウスターソース風、デミグラスソース風など、各店が独自にブレンドしたものを使い、「煮込みソースカツ丼」などのバリエーションも豊富だ。既製のソースをかけたものは今は見かけない。ただ、千切りキャベツを使う店は多く、これは「会津流」といわれる。

 今でこそ広く知られるが、かつては県内でも会津以外ではほぼ「未知の丼」。それが80年代後半、ご当地グルメ本の出版などにより、知名度を上げたようだ。

 さらに「会津のソースカツ丼」をブランドの座に押し上げたのが2004(平成16)年、会津若松市内の飲食店などで結成した「伝統会津ソースカツ丼の会」のPR活動だろう。

 同会によると「会津でカツ丼といえばソース味が当たり前」。起源は戦前とも戦後ともいわれ判然としないが、異端ではない―とのプライドがのぞく。「薩長には負けたが逆賊ではない」という会津士魂にも通じる点は、まさに会津のソウルフード。そんな「物語」も人々の胸に響いたのだろうか。

 ◆洋食屋起源

 しかし、そうは言っても起源は気になる。なぜ、県内では会津だけが「ソース」なのか。「それは会津でのソースカツ丼のルーツの一つが、父の洋食屋だったからだと思う」。同会の会長で煮込みソースカツ丼で知られる老舗食堂「なかじま」のオーナー中島重治さん(65)は、そう自説を語る。

 「なかじま」の前身は、父重美さんが1948(昭和23)年、同市に開いた洋食屋「中島グリル」。そして重美さんが、トンカツとデミグラスソースを使いながら、庶民には敷居が高かった洋食屋でも、気軽に食べられる一品として提供したのがソースカツ丼だった。

 「ソースカツ丼の起源には諸説ある。資料が少なく、突き止めるのは難しい」と中島さんは話すが、同店のデミグラスソース風味のソースカツ丼に洋食屋の遺伝子が受け継がれているのは確かだ。

食物語・ソースカツ丼

食物語・ソースカツ丼

食物語・ソースカツ丼

(写真・上)ソースで煮込み、卵でとじたカツを丼に盛り付ける「なかじま」の三星俊さん。昼時、殺到する注文も無駄のない動きでさばき切る(写真・下)会津のソースカツ丼のなかでも唯一無二の味を誇る「なかじま」の名物「元祖煮込みソースカツ丼」(税込み1050円)

 ≫≫≫ ひとくち豆知識 ≪≪≪

 【伝統会津ソースカツ丼の会】結成は2004(平成16)年8月。同年の伝統的工芸品月間国民会議全国大会、1年後のJR・会津デスティネーションキャンペーンの開催を控え、会津観光を食で盛り上げようと、会津若松飲食業組合と会津若松市内の飲食店14店で結成した。活動は、加盟店マップの作製など情報発信を中心に始まり、14年の3、11月には復興の後押し、風評払拭(ふっしょく)の一助にと、全国各地から「ご当地カツ丼」を迎え「カツ丼絆サミットin会津」を同市で開催した。現在は同市内18店が加盟する。

 【煮込みソースカツ丼】洋風のソースで味付けしたソースカツ丼は、店によってソースの種類や調理法が微妙に異なりバリエーションが多い。その一つが煮込みソースカツ丼。多くのソースカツ丼が、ソースを衣にしみこませるのに対し、ソース煮込みは、ソースで煮込み溶き卵でとじる。デミグラスソース風のソースを使う会津若松市の「なかじま」、福島市の「もりなが食堂」などが知られる。