【飯坂線100年】今も残る「車掌文化」 ピークは年631万人利用

 
当時使用していた制帽を手に思い出を振り返る三浦さん。「乗客を押し込むので精いっぱいだった」と懐かしむ

 「毎日必死に乗客を押し込むので精いっぱい。車掌なのに列車内を移動することができなかった」。福島交通鉄道部OBの三浦道夫さん(74)は、福島交通飯坂線が「最盛期」を迎えた1970年代の盛況ぶりを懐かしむ。ピークの75年には、年間631万人が利用。三浦さんは71年から2011年まで約40年にわたって飯坂線に携わり、最盛期には車掌や運転士として運行を支えた。

 当時はまだマイカーを持つ人が少なく、通勤、通学客のほか飯坂温泉への団体旅行客などで列車は連日、すし詰め状態。「平日朝と土曜の午後はドアが閉められないほど。とにかく忙しい日々だった」。赤とクリーム色の車両に駆け込む大勢の乗客をピストン輸送で運び続けた。

 1924年の運転開始後も需要の増加に合わせ、路線の延伸や新駅の設置など地域と共に歩んできた。75年に桜水駅が開業し、初めての列車が到着すると住民は花火を打ち上げて大歓迎した。運転士を務めた三浦さんは花束を受けた。「地元の熱量には驚いたが、温かさがうれしかった」。地域の支えを実感した瞬間だった。

 通勤、通学 経営支え

 飯坂線は全長9.2キロ、全12駅という決して大規模とはいえないローカル線だ。最盛期に比べれば乗客数は落ち込んだものの、赤字路線が多いとされる地方鉄道では珍しく黒字を計上し続けた。乗客の半数程度は定期券利用者で、担当者は「沿線が住宅街のため、通勤や通学など安定して利用する乗客に支えられている」と分析する。

 ただ、新型コロナウイルスの影響で2020年9月期に初めて赤字に転落。年平均240万人だった乗客数は21年に3割減の167万人に落ち込んだ。それでも地道に運行を続け、23年には197万人までに回復。最近ではインバウンド(訪日客)の効果も少しずつ見え始めているという。

240414news00_1-2.jpg飯坂線の最盛期を走り抜けた赤とクリーム色のツートンカラーが目印の5000系車両。1966年から91年まで運行された(福島交通提供)

 「安心して乗れる」

 乗客から根強い支持を得るのが、今も残る「車掌文化」だ。鉄道各社で人手不足などを理由に運転士のみで運行するワンマン運転が広がりを見せる中、飯坂線は現在も車掌が乗務することで客との触れ合いを大切にしている。

 上松川駅の近くに住む男性(75)は「(車掌が)いるといないとでは大違い。いつも安心して乗ることができる」と話す。5年ほど前に運転免許を返納してから毎日のように飯坂線を利用するといい「おかげで買い物に行ける。これからも感謝しながら乗り続けるよ」。男性は到着した列車に笑顔で乗り込んだ。

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 福島市北部を走る福島交通飯坂線は13日、運転開始から100周年を迎えた。飯坂温泉への観光路線としてだけでなく、地域住民の足として愛され続ける「いい電」の歴史と携わる人々の思いに迫った。

 福島交通飯坂線 1924年4月13日、福島飯坂電気軌道(当時)が福島―飯坂駅(現在の花水坂駅)間で運転を開始した。27年に終点を現在の飯坂温泉駅に延長、福島交通の前身となる福島電気鉄道に併合された。現在は全長9.2キロに2両編成4本、3両編成2本の構成で、平日は上下線計105本、土、日曜日、祝日は87本が運行する。2015年に福島交通が乗り合いバスで運用するICカード「NORUCA(ノルカ)」のシステムを導入。17年から東急電鉄から譲渡された1000系車両で運行している。