元矢祭町長・根本良一さん死去 「合併しない宣言」など注目
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国が推進した市町村合併に対する「合併しない宣言」などで全国の注目を集めた元矢祭町長の根本良一(ねもと・りょういち)さんが21日午前11時3分、死去した。86歳だった。自宅は矢祭町東舘字牛小路。告別式は26日正午から矢祭町下石井のセレモニア富士矢祭館で。喪主は妻操子(みさこ)さん。
1983年の町長選で初当選し、6期連続で務めた。国が「平成の大合併」を推し進める中、2001年に「合併しない宣言」を町議会で決議。全国の自治体で初めてとなる住民基本台帳ネットワーク(住基ネット)への不参加表明や、町が自立するために自治基本条例の制定など独自の町づくりに取り組んだ。
寄贈本を蔵書にした「矢祭もったいない図書館」の開館など、アイデアあふれる施策で地方分権の推進に力を注いだ。
【悼む】小さくても豊かな古里、自立を貫く独自政策
強力なリーダーシップで地方分権の旗手として存在感を示した。根底にあったのは、小さくても豊かな古里矢祭町への愛情。国が提唱した市町村合併の流れに対し、2001年に出した「合併しない宣言」では古里のためには独自路線もいとわない姿勢が全国から注目された。
「町民第一で、誰よりも町のことを考えていた」。副町長として支えた後、後任も務めた前町長の古張允さん(83)は根本さんの政治理念を述懐する。「今の矢祭町の姿をつくったのは根本さんだ」と惜しんだ。
国の合併推進室長が町を訪れた際には一歩も引かず、自立を貫く町政を譲らなかった。古張さんは「中央官庁と対等に向き合うことができる方だった」と語る。
6期24年の任期中、全国からの寄贈本が並ぶ「矢祭もったいない図書館」の整備など独自政策を次々に打ち出し、町の礎として今も伝わる。07年の引退後は地方自治について全国で講演を続けた。佐川正一郎町長は「小さな町でも輝くとの強い思いがあった。その意気込みを受け継いでいく」と悼んだ。(伊藤大樹)