【現場はいま・本紙記者がゆく】今も響き続ける工事の音

 
処理水を保管するタンクが林立する福島第1原発の構内

 県内に未曽有の被害をもたらした東京電力福島第1原発事故から、間もなく12年となる。原発構内では廃炉に向けた作業と同時に、政府が今春から夏ごろとする処理水の海洋放出に向けた工事が着々と進んでいた。原発の今を取材した。

 原発の取材は2019年以来、4年ぶりだ。「4年ぶりなら、変わっているところもあると思います」。東電の担当者は記者の質問にそう応じた。しかし、前回と同じように休憩所の高台から敷地内を見下ろすと、目に飛び込んできたのは処理水の保管タンクだった。びっしりと敷地を埋める光景は4年前と何も変わっていない。保管量は総容量約137万トンのうち132万トンに上り、限界が近い。

 双葉町側にある5、6号機の海側に立つと、沖合に突き出る4本のやぐらが見えた。処理水の海洋放出に使う海底トンネルの出口がある場所だという。やぐらは測量のために設置された。その海底には処理水の出口となる「放水口ケーソン」が取り付けられている。

 処理水を保管するタンクの敷地を確保するために伐採された樹木を焼却する施設も訪れた。樹木は元々、屋外で保管されていたが、廃棄物を減らすため22年に稼働した。木は腐ってほとんど土と化しており、可燃性のものと混ぜ合わせて燃やす。前回の視察時にはなかったものだ。

 「廃炉」という言葉から想像するのは、巨大な建屋や周辺の施設が少しずつ解体されていく姿だ。ただ構内では所々で廃炉に向けた新たな設備をつくるための工事が進んでいた。福島第1原発では何をもって廃炉とするのか。東電の担当者は「どういう形になるのか決まっていない。更地にする可能性もあるし、なんらかの形で残ることもあり得る」とする。「原発の廃炉は通常、『廃止措置計画』にのっとり行われるが、福島第1原発では計画を出していません」。取材中、構内にはけたたましい工事の音が響き続けていた。

 原発事故が起きた12年前の3月、当時15歳だった記者は田村市都路地区で暮らしていた。原子炉建屋が吹き飛ぶ衝撃的な映像を目にし、震える思いで郡山市に避難したことを覚えている。子どもの頃、双葉町や大熊町など気候の暖かい浜通りは、山あいで育った自分にとって憧れの土地だった。その土地が今、廃炉という重い十字架を背負う。あれから12年。復興に終わりはないのだと、4年ぶりに目にした廃炉の現場が訴えているような気がした。(相双支社・坪倉淳子記者)