【復興の道標・ゆがみの構図-5】象徴化される避難者 生活再建が一番大切

違和感を覚えた。2012(平成24)年春、東京駅でのことだ。若者2人が楽器を鳴らしながら反原発を訴え「福島返せ」と声を上げていた。当時、郡山市から山形県に避難していた山形避難者母の会代表の中村美紀(40)は「福島の方ですか」と声を掛けた。
2人は福島県民ではなかった。それどころか、福島がどういう場所かもよく知らないようだった。中村は「私が返してほしい福島を、この2人は知らないんだな」と思った。中村は14年春に避難先から郡山に戻り、自主避難者らの支援活動に取り組む。東京駅での違和感と同じものを、今も時々感じることがある。
昨年春、母の会が発行した情報誌には、岐阜県の反原発活動家を名乗る人物からクレームがついた。情報誌では、中村らが自主避難の経験を踏まえて福島に戻った母親らを取材し「野菜の購入先は」「学校での心配事は」などの疑問点をまとめた内容だった。
避難を続ける人、帰還する人、どちらの選択にも寄り添いたいと、県内の農産物検査の状況や帰還後も残る不安などを率直に書いた。しかし、クレームした側にとっては「(内容が)『安全側』に立っている」と映ったようだった。「なぜ避難者が『福島は安全』と主張するのか」と言いたげだった。
原発事故から間もなく丸5年。避難者は放射線への不安だけでなく、子どもの進学や仕事の問題など個々の事情を抱える。しかし一人一人の課題解決よりも、県民全体を「原発事故の被害者」と象徴化してしまう風潮はまだある。
中村は思う。「避難者にとっては、どうすれば自分たちの生活が再建できるかが一番大切なのに」
大阪市立大教授の除本(よけもと)理史(まさふみ)(44)は、自主避難者の住宅支援が16年度末に打ち切られることについて、行政側に避難者の実情を把握する姿勢が足りないと感じている。「避難者の個々の事情を踏まえ、きめ細かく対応しなければならない」と指摘する。
「帰還を促されていると感じれば、自己防衛として(県民を傷つけるような)行き過ぎた主張が出るかもしれない。それは、避難者が抱えるさまざまな問題を見えにくくする場合もある」
自主避難を経験し、現在は福島市に戻り自主避難者らの支援に当たる三浦恵美里(39)は、何よりもまず、相手と向き合うことを優先している。
「震災から間もなく5年がたつが、いまだに避難先に溶け込めず、孤立を感じている人もいる。同じ目線で思いに耳を傾けたい」(文中敬称略)
(2016年2月4日付掲載)
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