みんなを笑顔にする力 会津鉄道芦ノ牧温泉駅長・小林美智子さん<3>

 
会津鉄道から「トップセールスレディ賞」をもらったばすと私。ばすが名誉駅長になり、駅の利用客数が前年同期の1・5倍に増え、グッズもたくさん売れた

 近所を散歩したり、昼寝をしたり―。「名誉駅長」という立派な肩書がついても、「ばす」は相変わらずマイペースだった。それでも周囲の注目は、日に日に高まっていった。

 2008(平成20)年4月24日に名誉駅長になり、すぐにやってきた大型連休。いつものように駅のホームで利用客を見送るばすを、新聞やテレビが取材してくれた。名誉駅長になって変わったことと言えば、旧国鉄の帽子をまねて私たちが手作りした、会津鉄道の帽子をかぶらせたくらい。それでも夏休み、秋の紅葉シーズンにも、お見送りする姿をたくさん取り上げてもらった。

 すると、「ネコ好き」の皆さんが、ばすを一目見ようと遠方からも駅を訪れるようになった。駅の利用客が約1・5倍に増えただけでなく、グッズ売り上げでも貢献したばすは、その年の12月、会津鉄道から「トップセールスレディ賞」をもらった。

 もっとも、ばすがこんなに早く人気者になるなんて誰も思っていなかったので、最初はグッズなどなかった。人気が出てから、会津鉄道がキーホルダーや携帯電話用のストラップを作った。ストラップを作る時、ある社員は「こんなの売れるの」と首をかしげていたが、最初の1カ月で100個以上売れた。その社員の驚いた顔は今も忘れられない。

 今思うと、駅長の帽子をかぶったばすには、周囲の人を笑顔にする不思議な力があったのかもしれない。

 ばすが笑顔にしたのは観光客だけではなかった。東日本大震災後、駅近くの芦ノ牧温泉には楢葉町など浜通りからたくさんの人が避難してきた。中にはペットを自宅に残したまま、逃げるしかなかった人もいた。その人たちの心を癒やしたのが、ばすだった。自分のペットと重ね合わせていたのか、ばすに会うために駅を繰り返し訪れ、少しずつ笑顔を取り戻す人が何人もいた。

 「ばすはこの日のために駅長になったんだ」。ばすが駅に来て12年、この時初めて運命を感じた。(聞き手 高崎慎也)

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 こばやし・みちこ 若松女(現会津学鳳)高卒。バスガイドなどを経て、1987(昭和62)年の会津鉄道開業後、30歳で芦ノ牧温泉駅の駅長に就任した。