「らぶ」に会いたかった 会津鉄道芦ノ牧温泉駅長・小林美智子さん<11>

 
お別れ会で、らぶへの別れの言葉を読み上げる私。悲しみで頭がいっぱいで、実はほとんど記憶がない

 映画「劇場版にゃん旅鉄道」が公開された喜びは、残念ながら長続きしなかった。公開からわずか3カ月後の昨年10月、2代目ネコ駅長「らぶ」は天国へ旅立った。

 8月に入り、らぶの体重が落ちていたので病院に連れて行くと、腎臓の病気だと分かった。思っていたよりずっと重い病気だったので、すぐには信じられなかった。「ネコは飼い主に弱みを見せない」とよく言われるが、本当なんだなと思った。

 この時らぶは8歳で、人間で言えばまだ50歳前後。「早く病気に気付いてあげられなくて、ごめんね」。病気が見つかってから永眠するまで約2カ月、私はらぶに謝り続けた。

 息を引き取る前日の昼過ぎ、家にいたらぶは私たち家族一人一人の所を歩いて回り、大声で鳴いた。普段はめったに鳴かないらぶが、最期のお別れをしているようで切なかった。その日の夜、らぶは立っていることさえできなくなった。それでも翌朝、駅に連れて行くと少しだけ歩いた。そして昼過ぎに最期を迎えた。

 11月に会津鉄道が開いたお別れ会には、約1000人が来てくれた。参列してくれた人には申し訳ないが、実はほとんど覚えていない。それまでは実感がなかったらぶの死を、受け入れるしかない悲しみで頭がいっぱいだった。

 翌日、「らぶに会いたい」と強く思い、山形県米沢市の映画館へ行った。「劇場版にゃん旅鉄道」でらぶの元気な姿を見るためだ。1時間余りの上映時間の間、私は涙が止まらなかった。タオルで口をふさぎ、声が漏れるのだけは必死にこらえた。

 映画館には、らぶに会うために駅へ来たことがある顔見知りが何人かいた。映画が終わると、私に駆け寄り「小林さんですよね。お別れ会に行きました」と声をかけてくれた方がいた。その人も「らぶにもう一度会いたい」と思い、郡山市から足を運んだという。涙で化粧が落ちていたのに声をかけられた恥ずかしさもあった。でも、私と同じ気持ちの人がいることを分かったうれしさの方が、ずっと大きかった。(聞き手 高崎慎也)