久之浜の大火紡ぐ 震災の語り部・石川さん、あの時...次世代に

 
大規模火災が発生した現場付近で、当時の様子を語る石川さん=いわき市久之浜町

 木造の家々に次々と燃え移る炎―。能登半島地震で発生した石川県輪島市の「輪島朝市」の惨状に、いわき市久之浜町の住民は「あの時と重なった」と、東日本大震災時に起きた地区内の大規模火災を思い返す。地元での大災害から13年が経過し、災害の経験を次の世代に伝えようと、地域住民は改めて思いを一つにしている。

 「まさかあそこまで広がるとは」。全国で語り部活動をするいわき語り部の会の石川弘子さん(65)は、自宅近くで発生した火災を振り返る。部活の大会に出場する子どもたちを撮影しようとカメラを持っており、震災当時も高台から津波が押し寄せる瞬間を写真に収めていた。火災が発生したのは2回目の津波の後。「津波が引き波になったあたりから火が出ていた」と、炎が上がった瞬間を語った。

 小さな炎から始まり「引き切れていない(津波の)水があったのでそんなに燃えないと思った」。しかし、がれきや津波の影響で消火活動が始まるまでに時間がかかり、火災はみるみるうちに広がった。「ボーン」。夜になって石川さんが家族と一緒に寝ようとすると、プロパンガスなどが爆発する大きな音が次々に響き渡った。

 翌朝になって幸い自宅まで延焼はしなかったが、変わり果てた街並みを目の当たりにした。「このままこのまちに住むことができるのだろうか。元の生活ができるのか不安だった」

 輪島朝市周辺での火災については「倒れた家などを見て衝撃を受けた。あの火を見て久之浜の風景を思い出した」と振り返る。「都市部ではなく、高齢者も多い地区だと思う。私たちが過ごしてきた10年よりも復興に向けた苦労はもっと難しいものになると感じた」と切実な思いを口にした。

 震災後、久之浜町の街並みは津波や火災からの復興で大きく生まれ変わった。防災緑地や防潮堤、耐震性の貯水槽の設置など災害に備えるための整備が進んだ。能登半島地震をはじめとする災害が全国で相次いでいる中、石川さんは今後も語り部活動を続ける。「このまちをもっと元気にさせるためにも、あの時を知らない子どもたちに当時の様子をしっかりと伝えていきたい」と覚悟を示した。