【古関裕而生誕110年】長男・古関正裕さんに聞く 父が怒ったの一度だけ

 
古関作品の楽譜を手にしながら父の思い出を語る長男正裕さん=東京都大田区

 福島市出身で昭和を代表する国民的作曲家古関裕而(ゆうじ)が11日に生誕110年、18日に没後30年を迎える。来春から放送されるNHK朝の連続テレビ小説(朝ドラ)に古関と妻金子(きんこ)の生涯をモデルにした物語「エール」が決まったほか、ベスト盤の発売や関連本の出版が動き始めるなど、その業績に注目が集まっている。家族やゆかりの人物などへの取材を通し、昭和、平成、そして令和へと、時代を超えて人々を魅了する古関の世界とその足跡を振り返る。

              ◇

 「両親が聞いたらどう思うだろう。照れ屋な父は遠慮がちに笑うかな」

 両親がモデルのドラマ化が決まり、長男正裕さん(73)=東京都大田区=はこう感想を語った。

 母が一番のファン

 朝ドラ「エール」は、古関と妻金子の半生が描かれる。文通を経て裕而20歳、金子18歳で結婚。昭和初期からさまざまな困難を乗り越え、おしどり夫婦として長い年月を過ごした。

 「母の場合は、父の一番のファンだったから(ドラマ化は)『当然よ』と言うかもしれないね」と正裕さんは笑う。「妻の自分も中心人物として取り上げられるのは『私なんて』と照れながらも結局は喜んだと思う。父とは違って、母は情熱的なタイプで社交性のある性格だったから」

 福島市などで2014(平成26)年から朝ドラ実現に向けた運動が始まった。それまでは「両親の話が朝ドラになるとは夢にも思わなかった」と正裕さん。「福島の皆さんが署名活動などで動き始めてくれたときもまだ半信半疑だったが、皆さんの尽力で現実になった。実際に決まると反響が大きくて驚いている」

 「長崎の鐘」や「君の名は」などの大ヒット曲を生み出したほか、スポーツテーマ、ラジオ、舞台音楽、校歌など幅広いジャンルの音楽を手掛けた。作品総数は約5000曲とされる。

 作曲の仕事は、いつも家の書斎で行っていた。正裕さんにとって父の印象は「優しくて穏やかな人」。ただし「声や物音は平気だが、調子外れの楽器の音には我慢できなかった」とは、天才音楽家ならではのエピソードだ。「小学生のとき、コップに水を入れて音階を作り、たたいて遊んでいた。すると、父が2階から下りてきて『うるさい』とものすごく怒られた。父に怒られた記憶は、その一度きりしかない」

 五輪行進曲に感動

 1964年開催の東京五輪の行進曲「オリンピック・マーチ」は、55歳のときに手掛けた。古関自身も「一世一代の作」と記すほどの会心の出来栄え。正裕さんが父の偉大さを初めて知ったのも、この曲がきっかけになる。当時高校生でエルビス・プレスリーやビートルズに夢中だった。「若いころは父の曲を聴こうと思うことはほとんどなかったが、『オリンピック・マーチ』だけは『いい曲だ、すごい』と思い、レコードで繰り返し聴いた。私にとっても思い出の一曲です」

 節目を迎える今年は、生誕110年を記念したベスト盤が3セット発売されたほか、夫妻の手紙で構成された書籍が今秋刊行される。

 絶版だった自伝「鐘よ鳴り響け」も復刊が予定されるなど、再評価の動きがめじろ押しだ。

 正裕さんは「古関の曲を歌い継がれるきっかけになれば」と話す。「あくまで朝ドラはモデルだから内容はフィクションになるが、曲はそのまま紹介されると思う。古関を知らない若い人たちに知ってもらえるいい機会になることが何よりうれしい。ドラマ化は、どんな勲章や賞にも勝る名誉な出来事になった」

              ◇

 古関 裕而(こせきゆうじ) 1909(明治42)年、福島市有数の呉服店「喜多三」の長男として誕生。県師範学校付小(現・福島大付小)時代から音楽を作ることに目覚め、福島商業学校(現・福島商高)時代は音楽に明け暮れた。川俣町での行員生活を経て、国際作曲コンクールで入選したことで全国に名が知れ渡った。「オリンピック・マーチ」や「栄冠は君に輝く」など生涯で5千曲を作曲。310校の校歌を手掛けた。79年、福島市名誉市民第1号。