【古関裕而生誕110年】おしどり夫婦の出会い 裕而宛てたファンレター

 
古関裕而(本名・勇治)が後の妻となる内山金子に宛てた手紙(1930年4月25日付)古関正裕蔵

 〈一九三〇年、なんと幸福な年でせう。貴女が恋しくて恋しくて心が踊ります〉(1930年4月25日付)

 昭和初期からさまざまな困難を乗り越え、おしどり夫婦として過ごした古関裕而と妻金子(きんこ)。2人の出会いは、金子が裕而に宛てたファンレターがきっかけだった。

 1930(昭和5)年1月、裕而が英国の国際作曲コンクールで入選したとの新聞記事を愛知県豊橋市に住む金子が読み、音楽に関心があった彼女は即座に手紙を書いた。そこから文通による遠距離恋愛が始まり、同年6月1日に福島市で祝言を挙げた。裕而20歳、金子18歳だった。

 冒頭の内容は、裕而が金子に宛てた手紙。最後は〈私の恋しきクララ・シューマン内山金子様/作曲家ロバート・シユウマン古関勇治より〉と結ばれる。ドイツのロマン派を代表する作曲家ロベルト・シューマンとピアニストの妻クララを自分たちと重ね合わせており、初々しさもありつつ秘めたる野心も感じさせる。手紙は古関裕而記念館(福島市)で開催中の企画展で初公開されている。

 長男正裕さん(73)=東京都大田区=は「手紙の数々は袋の中に雑に入れられていたので、10年ほど前から整理を始めた。これまで他人に見せたことはなかった」と話す。個人的な手紙を公開することに迷いはあったが「いつの時代も変わらない、約90年前の普通の若者の恋愛がある。そして、夢と現実のはざまで揺れる若い男女の姿も浮かんでくるのがいいと思った」

 今秋、これらの手紙で構成され、正裕さんによってまとめられた書籍が刊行される。内容は文通期間に絞ってまとめられた。タイトルは「君はるか」。結婚前に金子が詩を書き、それに裕而が曲を付けた楽曲のタイトルにちなむ。

 正裕さんは「おとなしい父と、激しい性格の母。私から見てもお似合いのカップルだったと思う。最後まで仲が良い夫婦だった」と振り返った。

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 古関金子(こせき・きんこ) 旧姓内山金子。1912(明治45)年、愛知県豊橋市生まれ。豊橋高等女学校(現豊橋東高)卒。30(昭和5)年6月、古関裕而との3カ月の文通期間を経て結婚。その後は夫の音楽活動を支えた。