「父の曲、人々と共にあった」 古関裕而の長男・正裕さん回想

 
「日本中にエールを届けられれば」と語る正裕さん

 福島市出身の作曲家古関裕而がモデルのNHK連続テレビ小説「エール」の本放送が14日、再開する。古関の長男の正裕さん(74)は、福島民友新聞社の取材に「コロナ禍で大変な日本中にエールを届けるため、出演陣や制作陣は最後まで頑張ってほしい」と語り、戦中戦後に歌い継がれる名曲が作られていく後半の物語の展開が、見る人に元気を与えることを期待する。

 「父は、勇ましいだけの曲はあまり書けなかったと戦時中を振り返っていました」。正裕さんは、戦時歌謡でヒットを連発し「軍歌の覇王」と呼ばれていた、古関の心の内を代弁する。代表作の「露営の歌」は歌詞こそ勇壮だが、曲には哀愁が漂う。「きっと兵士を意識し、人々に寄り添った大衆歌だからこそ愛されたのだろう」と分析する。

 正裕さんによると、古関は当時、国への協力が義務と考えていたので、戦時歌謡の作曲への後悔はなかったという。しかし、戦後には心の痛みを引きずっていたとされる。

 戦後に入ると、今も愛好者が多いさまざまな名曲が生み出されていく。「長崎の鐘」について、古関は自伝で「戦災の受難者全体に通じる歌」と記しており、思いが深いことが見て取れる。東京五輪の「オリンピック・マーチ」は作曲人生の集大成と自負していた。正裕さんは「作曲依頼を受けたことをうれしそうに家族に話していた。戦後復興を果たした日本を世界に発信できる喜びを抱いたのだろう。父の曲は常に人々と共にあった」と語った。

 ドラマが好評な影響で、正裕さんは、周囲から父の話を聞かれるようになったという。知人の子どもは、「船頭可愛や」を歌っていた。「若い世代には新鮮なのだろう。父の曲を知らない世代が歌い継ぐのはうれしい」と、笑みを見せていた。