「紺碧の空」早大卒業生が注目 朝ドラ・エール、誕生経過描く

 
JR福島駅東口駅前広場にある古関裕而像を眺める瀬戸さん

 福島市出身の作曲家古関裕而が作曲した早稲田大の第1応援歌「紺碧(こんぺき)の空」は、約90年にわたり歌い継がれる名曲だ。古関がモデルのNHK連続テレビ小説「エール」では18~22日に誕生の経過が描かれる。「早大生なら誰でも歌える『早稲田の魂』だ」。同市の早大卒業生たちは「覇者 覇者 早稲田」と口ずさみ、朝ドラに注目している。

 「入学後に『紺碧の空』を歌い、初めて早大生になったと実感した」と振り返るのは早大卒業生でつくる「福島稲門会」の新開文雄会長(68)=新開法律事務所。今も同窓会などで歌っているといい「朝ドラを機に古関さんが再評価されることを願う」と語る。

 同会顧問で元福島市長の瀬戸孝則さん(72)は「学生時代を振り返ると頭の中で『紺碧の空』が流れる」と振り返る。市長時代の2009(平成21)年、古関生誕100年の記念事業に力を入れた。「朝ドラ放映は、古関さんから福島へのまさに『エール』だ」と力を込めた。

 東京六大学の野球リーグ戦が復活した1946年、紺碧の空の完成から15年後に、古関は早大のライバル慶応大応援団の依頼で慶大の応援歌「我ぞ覇者」も作曲した。慶大出身者でつくる「福島三田会」の内池浩会長(76)=内池醸造会長=は「早慶戦で歌った記憶がある。古関メロディーを通して福島が盛り上がればいいね」と語った。

【紺碧(こんぺき)の空】 古関裕而が日本コロムビアに入社した翌年の1931(昭和6)年、早稲田大の応援歌として作曲した。東京六大学野球で、ライバルの慶応大に負け続きだった早大応援部が新しい応援歌で劣勢を打開しようと依頼した。作曲者を選ぶ際、古関を推薦したのが本宮市出身の歌手伊藤久男のいとこの応援部幹部だった。新しい応援歌のおかげか早大が優勝し、歌い継がれるようになった。