【デパートの思い出・下】 うすいで手芸用品...生地売り場楽しみ

 
1968年10月、第2うすい増築落成大売り出しの様子。通りに人があふれ、店頭ではブラスバンドの演奏が行われている(うすい百貨店提供)

 デパートにまつわる思い出を読者に聞く2回目は、郡山市編を送る。郡山でデパートといえばもちろん、うすい百貨店だ。

 うすいは2館体制

 「『第1うすい』と『第2うすい』があり、高校生の頃、第2うすいの手芸用品店が大好きで、ポニーテールを結ぶリボンを買うため頻繁に行っていました」(棚倉町・マロンさん)、「建て替え前の地下1階は、生地売り場がメインでした。裁縫が得意だった母に連れて行ってもらうのが楽しみでした」(船引町・じんじゃんぐさん)。

 このように、手芸用品売り場に関する声が多く寄せられた。デパートで手芸用品?と思う読者もいるかもしれないが、当時は特に服地の品ぞろえが豊富で、うすいの特色の一つでもあった。同店営業推進部長の菅野俊広さんも「販売員が直接買い付けをするなど、当時は力を入れていた売り場の一つだったようです」と話す。

 うすい百貨店は1662(寛文2)年、物産問屋として創業。1959(昭和34)年に「第2うすい」が開店し、97(平成9)年まで2館体制が続いた。当時、第1うすいは食料品、家電、食器、家具などを扱う「くらしの館」。第2うすいは手芸用品、化粧品、服飾品、文具、玩具などを扱う「おしゃれの館」と名付けられていた。

 西友、丸井...駅周辺に続々

 前出のマロンさんの投稿は「現在のダイワロイネットホテルのところには丸井、アティ郡山は西武デパート、少し離れたところにダイエーもありました」と続く。福島市の中合デパートが福島駅前に移転した2年後の75年、東京や大阪に本社を持つ大型商業施設が、郡山駅周辺に続々と出店したのだ。

 当時の新聞を振り返ると、まず9月9日、郡山駅前に西友ストアー郡山店がオープンする(翌年、店名を「西友郡山西武店」に変更)。当日の紙面には「郡山進出"ビッグ3"一番乗り」(福島民友9月9日付夕刊)の見出しが躍った。西友は「遠いあこがれを忘れてしまいそう」のキャッチフレーズを掲げ、新幹線開通を待ちわびる県民に、東京が身近になったことを印象付けた。これに対抗し「地元では百貨店が"専門店"色を強く打ち出したり、駅前大通りにアーケード建設を進めるなど"迎撃作戦"を展開」(福島民友9月10日付)と受けて立つ様子を伝えた。

231109kurasi701-2☆.jpg※写真=西友ストアー郡山店のオープンを伝える記事(福島民友1975年9月9日付夕刊)。建物は現在もアティ郡山として営業中だ

 さらに11月8日には丸井郡山店、25日にはダイエー郡山店が開店する。当時の紙面は「郡山大型店"三役そろい踏み"」の見出しとともに「ビッグスリーが全部出そろって、うすい、津野、丸光各デパートの新旧"ご三家"とイトーヨーカ堂、ヨークベニマル、三千三百の地元小売店がいよいよ激突、経済県都の商戦は不況のなかで華やかさと厳しさをいちだんと増した」(福島民友11月26日付)と興奮気味に報じている。津野と丸光(まるみつ)は、当時市内にあったデパートだ。

 華々しく開店したビッグスリーだが、後にいずれも閉店し(西友はザ・モール郡山として営業中)、現在、県内の百貨店はうすいを残すのみとなった。

 「子どもの頃のデパートは、憧れと夢がいっぱいの特別な場所でした」(川俣町・斎藤恵二さん・76)というように、うすいのCMソングには「幸せ売ってるデパート」「夢のデパート」という歌詞がある。店内に一歩入った瞬間、高揚感に包まれる、あの感覚を味わいに、またデパートへ足を運んでみたくなった。(佐藤香)