【復興拠点避難解除1年/飯舘・長泥】故郷思い二拠点生活

 
新居の庭に植えたムラサキアケビの世話をする小椋さん=飯舘村長泥地区

 故郷への思いは消えることはない。東京電力福島第1原発事故の影響で帰還困難区域となった飯舘村長泥地区は、特定復興再生拠点区域(復興拠点)の避難指示が解除され1日で1年。住民は慣れ親しんだ村での暮らしを求めて徐々に生活拠点を戻しつつある。

 変わらぬ「いずれ帰る」

 県道原町二本松線沿いで農業を営んでいた小椋秀利さん(74)は昨年11月に新居を構えた。現在は仕事を続ける千葉県との二拠点生活で、休日は家具や家電の搬入などに汗を流す。「急がないでゆっくりでいいんだ。今やれることをやる」。リビングには新品の冷蔵庫が搬入され、徐々に生活感を感じられるようになった。

 20歳ごろから単身で千葉に働きに出た。「長男だから稼がないといけなかった」と4人兄弟の長兄としての責任だった。それでも事あるごとに週末を利用して長泥に帰り、親の農作業を手助け。「いずれは絶対帰るとずっと決めてたんだ」と思いは不変だった。

 東日本大震災後もその思いを胸に抱き続け、ようやく新居が完成した。「この年になってうれしいとかはない」とあくまで通過点と位置付ける。「自分でできることは工夫してやる」と自給自足の生活を目指し畑や庭の整備にも熱が入る。

 今月の連休には兄弟が親族の墓参りに数年ぶりに訪れるという。小椋さんはバーベキューの準備を進める。「家を元に戻すのは俺の責任。集まれる場所だけは作っておきたい」。故郷と親族への思いが小椋さんを突き動かす。

 来年は桜の前で友人呼び宴会を

 「ポツンと一軒家でしょ。でもカエルやウグイスが鳴いて川のせせらぎが心地いいの。自然があふれていて空気がきれいだから」。伊達市に避難する菅野みき子さん(63)は一刻も早く生活拠点を長泥に戻したい本心を明かす。

 昨年の5月1日以降はほぼ毎週末長泥に帰り、村での生活で心と体を癒やしている。昨年6月に夫が体調を崩し「夫のためを思うと空気も新鮮だし、こっちの方がいいかな」と涙を浮かべながら語った。

 地区の住民登録者は4月1日現在で62世帯186人。人が出入りする姿は見受けられるものの、村帰還には足踏み状態が続く。「うちらを見て戻りたいと思う人が増えたらいいな。来年こそは桜の前でいろんな友人を呼んで宴会がしたい」(南哲哉)