学びやに残る営みの跡 津島小・中を一般公開、卒業生ら万感の思い
浪江町教委は4日、東京電力福島第1原発事故による住民避難の影響で閉校となった津島小と津島中の見学会を開いた。年度内に両校校舎の今後の方向性を決める段階に入っており、今回が実質上の最後の一般公開となる見通しだ。「本当に懐かしい」。訪れた卒業生らは、万感の思いを込めて校舎を巡っていた。見学会は5日も開かれる。
「校舎に来ると昔に戻ったみたいだね」。津島小の教室内に、明るい声が響いた。卒業生の佐藤志帆美さん(40)=宮城県名取市=と菅原みずほさん(40)=福島市=は、校舎見学会があると聞き、誘い合わせて校舎を訪れていた。学校では、同級生の国分和子さん(40)=福島市=とも合流して笑顔を見せていた。
浪江町の山間部の津島地区にあった学校は、震災時に町民の避難所となった。しかし原発事故の悪化により、迎え入れた津島の人もさらなる避難を余儀なくされた。黒板にはその時の状況を伝える張り紙が残されている。国分さんは当時、津島地区に住んでいた。同行した息子の淳さん(15)に「事故がなかったらここに通っていたんだよ」と声をかけた。
思い出を語り合った同級生らは、窓の外を見た。阿武隈山系の山並みが紅葉に染まっていた。「今思うとぜいたくな景色を見ていたね」「先生との距離も近くていい学校だったよね」。そして「学校がなくなると寂しいね」と声を合わせた。
「私の名前があった」。津島中の昇降口で卒業生の石川ひとみさん(27)=田村市=が声を上げた。石川さんにとって2011年3月11日は、中学校の卒業式だった。午前中に式を終え、自宅に戻っていた時に激しい揺れに襲われた。
石川さんがいた3年生の教室の黒板には「卒業おめでとうございます」とメッセージがあり、隣の2年生の教室には「心を込めて三年生を送り出そう」と書かれていた。震災で無人となった学びやは12年の時を経ても、かつての津島地区で多くの子どもたちが学び、育ち、巣立っていく営みがあったことを伝えていた。(菅野篤司)
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