大堀で6月に工房再開 近藤さん、陶吉郎窯「継承へ産地再興」

 
「大堀相馬焼を今後100年、200年と続けていきたい」と話す近藤さん

 大堀の地で再び陶芸を―。東京電力福島第1原発事故で浪江町大堀地区からいわき市四倉町に避難し、伝統の大堀相馬焼を継承している陶吉郎窯の陶芸家近藤学さん(70)は、地元に工房と店舗を建設し、産地再興に向け準備を進めている。店舗は6月にオープンする予定で「継承していくには大堀でやるしかない」ときっぱり。後継者育成にも力を入れ、産地の復活に心血を注ぐ。

 「産地にはこだわりを持っていて、避難してからも常に大堀に戻ることを考えていた」。近藤さんは原発事故による帰還困難区域のうち、特定復興再生拠点区域(復興拠点)の避難指示解除が見えてくると、大堀での制作や販売の再開に向けて工房と店舗の建設を計画した。「大堀で300年前に始まったから大堀相馬焼。これは曲げられない」。産地の再建に一歩を踏み出した。

 ただ昨年3月に避難指示が解除されたものの、原発事故からは10年以上が経過し、多くの窯元が避難先に拠点を構えて事業を再開させている。「復興拠点ができた中で、スーパーや病院などが近くにない環境に戻ってくるのは難しいこと」と、取り巻く状況は容易ではない。

 大堀での伝統継承に強い思いを抱く近藤さんは、地元に唯一戻ってきた窯元として後継者育成に取り組む。県の「クリエイター育成インターンシップ」事業を活用し、陶芸家を目指す学生たちに大堀相馬焼の技法などを伝えている。「焼き物を志す若者はたくさんいるが、修業として受け入れる引き取り手が少ない」。少しでも興味を持ってもらい、大堀で窯元や職人になってもらおうと毎年学生たちを受け入れている。

 昨年12月には、越前焼で有名な福井県の県工業技術センター窯業指導分所で陶芸を学ぶ学生がインターンシップに参加した。「本県の事業を利用して一人来れば次につながる可能性がある。最初の一人が大事だ」と近藤さん。「たくさんの人に声をかけて、ここで一人でも多くの窯元や職人を養成したい」と力を込める。

 近藤さんは、作品を焼き上げるガス窯を搬入するなど、大堀での伝統産業再開へ、準備に余念がない。「一番の目的は、大堀相馬焼を今後100年、200年と続けていくこと。行政の支援をいただきながら、若者が生活できる土台づくりもしていきたい」と今後を見据える。(副島湧人)

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 陶吉郎窯 大堀相馬焼の窯元の一つで、近藤家の始祖である近藤平吉(1736~1818年)が京焼の楽焼を修業し、江戸で楽焼師として創業。1777年に磁器焼師範として会津藩に仕え、三春藩に移って十数人の弟子を養成した。その後、息子の陶吉郎(1789~1857年)が三春で平吉と楽焼に取り組み、平吉の死後、1819年に相馬藩に大堀瀬戸方として仕え、大堀に根を下ろした。