懐かしい思い出...大熊の小学校から私物持ち出し 原発事故後初
大熊町の帰還困難区域にある旧熊町小で4日まで、2011年の東京電力福島第1原発事故後初めて、当時の在校生を対象にした私物の持ち出しが行われている。3日には報道陣に持ち出しの状況が公開され、原発事故で避難した当時の状況がほぼそのままに残されている校舎に入った。「本当に懐かしい」「あの友達はどうしているのかな」。それぞれの教室では、思い出をよみがえらせた、かつての子どもたちの声が響いていた。 「学校に全て残していったので、避難したばかりの頃は自分の物がなかったことを思い出しました」。4年1組の教室で、宮城県から訪れた会社員の鈴木みつきさん(23)は、机に置かれていたランドセルを手に取った。椅子に座ってみると「やはり小さいですね」。伸びた背丈が、学びやを離れた年月を物語る。
再会、思い出よみがえる
5年1組の教室では、栃木県に住んでいる会社員の梅原由尋さん(24)が「うわ、懐かしいな」と、自分の机に駆け寄った。ランドセルのそばには、赤いマフラーなどが残されていた。3年前に亡くなった祖母が手編みしてくれたものだ。ランドセルなどを持って校舎を出ようとすると、一番の親友に再会した。万感の思いを込め、手を握りしめていた。
小学校と同時に、旧熊町幼稚園でも持ち出しが行われている。廊下には、着替えが入った巾着袋がかけられていた。「私のがあった」と声を上げたのは、会津若松市の高校生の尾内佳奈さん(18)だ。当時は年中組で「あまり覚えていないんです」と語っていたが、姉で大学生の梨穂さん(21)と施設内を巡るうちに「ここで踊ったよね」などと、幼い頃の記憶を思い出していた。
遊戯室で記念撮影する尾内さん姉妹=旧熊町幼稚園
町は熊町小について、解体せず残す方針だが、どのように利活用するかは今後議論を重ねて決めていくことになっている。東日本大震災の津波で、熊町小の1年生だった娘の汐凪(ゆうな)さん=当時(7)=を亡くした木村紀夫さん(58)は「原子力災害を伝える遺構として、手を付けずに残してほしい」と思いを明かした。
震災前の熊町小の児童数は333人、幼稚園の園児数は156人。多くの子どもたちが避難を余儀なくされ、思い出の品を再び手に取るまで13年かかった。原発事故がもたらしたものは何だったのか。事故を直接知らない現在の子どもたちに伝え、考えてもらうことが重要と考えた。 (編集委員・菅野篤司)
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