白河・葉ノ木平、防災の発信地 震災知らない世代、積極的に参加

 
土砂崩れを起こした山の前で「災害はいつ起きるか分からない。命を守る行動を考えることが大事」と語る富塚さん

 富塚建二さん 72 白河市

 いつも通る道が大量の土砂とがれきで覆われ、住宅をのみ込んでいた。「悪夢だ」。13年前、白河市葉ノ木平地区の向寺自治会で副会長を務めていた富塚建二さん(72)は、惨状を前に言葉を失った。

 あの日、富塚さんは郡山市で買い物中だった。被害を実際に目にしたのは翌朝。見慣れた光景が一変していた。土砂の中には、地域の祭りを一緒に楽しんだ自治会の住民たちが取り残されている。無事を願う家族と、懸命に捜索に当たる救助隊。その場を見守るしかなかった。

 13人が犠牲となった葉ノ木平地区は、復興へと歩みを進めた。年を重ねるごとに地区の姿は変わり、2016年、土砂崩れが起きた現場は震災復興記念公園として整備された。

 痛ましい災害が起きた現場は真新しい公園に生まれ変わった。だが、富塚さんは長らく、そこで慰霊祭以外の催しを開催する気分にはなれなかった。あの日の無念さを思い出すからだ。

 気持ちが変化したのは、震災から10年が経過した頃だった。きっかけは、地元の小学生や高校生が公園で実施した防災イベントに参加したことだった。応急手当てやテントの張り方など災害時の対応を、子どもたちと一緒に学んだ。

 「震災を知らずに育った世代が地区で起きた災害に興味を持ち、悲劇を繰り返さないための活動に取り組んでいた」。そんな子どもたちの姿に心が動かされた。

 公園は避難所としての機能を持ち、ベンチはかまどの代わりに、東屋は仮設テントに仕様が変わる。富塚さんは公園で今後、防災訓練を開きたいと考えている。「公園を活用すれば、震災の記憶を伝えられるんじゃないか」。あれから10年ほどが経過し、ようやく前向きな思いが生まれた。

 「悲惨な災害はいつ起きるか分からない」。現在は自治会長を務める富塚さんは公園に立つ慰霊碑の前でそうつぶやきながら、震災の教訓を伝える活動に向けた決意を新たにした。(小山璃子)

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 白河市葉ノ木平地区の被害 高さ約40メートルの山林が幅約120メートルにわたって崩落した。13人が犠牲となり、県内内陸部では最大の人的被害となった。市、消防本部、市消防団、自衛隊、警察など約1300人が2週間近く救助活動に当たった。崩落した斜面は地滑り対策工事が施され、現場は未曽有の災害を後世に伝えるため、震災復興記念公園として整備された。