【エールのB面】早大応援部団長役・三浦貴大さん 熱い思いまっすぐに

 

 朝ドラ「エール」第8週(18~22日)で話題を集めた早稲田大の第1応援歌「紺碧の空」。劇中では、スランプに苦しむ主人公・裕一(窪田正孝さん)が自らの殻を破って作曲に挑む姿が描かれた。裕一の音楽人生を変化させた血気盛んな早大応援部団長・田中隆役を演じた三浦貴大さん(34)に感想などを聞いた。

 早慶戦を観戦 

 大学野球の「早慶戦」といえば、1903(明治36)年に始まった早稲田と慶応義塾の"永遠のライバル"の熱戦だ。三浦さんは劇中、応援部団長として野球部の勝利に命を懸ける、不器用だが熱くてまっすぐな青年を好演した。

 「撮影の1カ月前くらいから、早稲田大学応援部のOBの方から指導を受け、『紺碧の空』の応援の練習を始めて、野球の早慶戦も観戦しました。実際に応援部の様子を拝見しましたが、動きの連携が見て取れて、迫力もあって圧倒されましたね。正直演じるのは大変だなと思いましたし、プレッシャーを感じました」

 「紺碧の空」の歌詞「すぐりし」の部分の振り付けは、裕一のモデル、古関裕而が実際に行った合唱指導を基に考案され、現在も手を広げて3回突き出す動きをするという。劇中の振り付けにもこの動きを取り入れており、息の合った美しい振り付けが披露された。

 「僕が演じる時代の応援の振り付けは、現役の皆さんに比べてシンプルな動きにはなっているのですが、人によって型が異なるため、自分の型を見つけるのがなかなか難しいんです。"かっこよく見える動き"のこつをつかむため、手の振り方などは自分なりに模索しました」

 技より気持ち

 第8週は「応援とは何か」といったテーマがあり、裕一の作曲家としての凝り固まった意識が解きほぐされた。団長の応援に懸ける気持ちや、裕一を最後まで信じる姿は、視聴者も心を打たれた瞬間だった。

 「応援部のメンバーを演じる皆さんと一生懸命練習をしました。短期間での習得だったので、現役部員の皆さんには及びませんが、なんとか形になったと思います。演じる上でも応援の技術以上に、田中という人物の『応援したい』という気持ちを表現できたらと思って演じました」

 劇中で披露された「紺碧の空」は、実際の早大現役生、出身者にとって今も特別な曲だ。会津藩家老を代々務めた田中家子孫の田中愛治早大総長(68)は福島民友新聞社に「『紺碧の空』の思い出」と題して寄稿。古関裕而の作曲家人生のスタートに影響を与え、早大関係者が約90年歌い継ぐ名曲についての思いを明かした。

 【寄稿】早大総長・田中愛治氏 「紺碧の空」の思い出
 
 私が早稲田大学に入学したのは1971(昭和46)年春である。所属は政治経済学部だったが、体育局空手部に入部したので、学生時代の思い出として胸に焼き付いているのは空手部の活動である。

 空手部に入部して最初の強烈な印象は5月の野球の早慶戦であった。応援部からの依頼で、体育各部の新人は、野球の早慶戦の際に神宮球場で「傘売り」と称する手伝いをした。応援グッズであるえんじ色の傘や、パンフレットなどを売る手伝いを試合開始前から半日ほどボランティアで行う。

 そのご褒美に、早慶戦を観戦させてもらうのだった。席はもちろん外野だったが、初めて第1応援歌「紺碧の空」を聞き、神宮球場の半分を占める早稲田側の観客全員と一緒に夢中で歌った。

 早稲田が勝利した熱戦に興奮し、1日で「紺碧の空」を完全に覚えた。実は、入学前から聞いていた早稲田大学校歌を完全に歌えるようになったのは、その数カ月後である。神宮での早慶戦の熱気が「紺碧の空」を一気に覚えさせたのだ。

 たなか・あいじ 1951年、東京都生まれ。早大卒業後、オハイオ州立大で博士号取得。早大政治経済学術院教授、世界政治学会(IPSA)会長などを歴任し、2018年から第17代総長。専門は政治学(投票行動)。

 【もっと知りたい】無名の古関を推薦

 「栄冠は君に輝く」「闘魂こめて」「六甲おろし」―。古関裕而が得意とした珠玉のスポーツ音楽は今なお人々を引きつける。この第一歩が早大応援歌「紺碧の空」。

 古関が日本コロムビアに入社した翌年の1931(昭和6)年に作曲。野球の早慶戦で慶応義塾に負け続きの早大の応援部が、慶応の応援歌「若き血」に勝る応援歌で劣勢を打開しようと依頼した。作曲に試行錯誤する中、気をもんだ応援部が古関宅に連日のように詰め掛けた。完成は発表会の3日前だった。

 作曲者を選ぶ際、古関を推薦したのが本宮市出身の歌手伊藤久男のいとこで早大応援部幹部伊藤戊(しげる)。当時古関は無名の新人だったため、古関の将来性を熱心に説いて回ったようだ。

 古関は自伝で、紺碧の空が早慶戦で初めて歌われたことを「神宮球場から早大生の迫力ある大合唱がわき上がった」と述懐している。