甲子園に立てる!磐城ナイン 空中分解の危機乗り越え夢舞台へ

 
交流試合開催の知らせを聞く磐城高ナイン

 磐城高ナインが「空中分解」の危機を乗り越え、夢舞台に立つ。「甲子園がないなら、野球を続けても意味がない。中途半端な気持ちで野球をやりたくない」。選抜大会に続き、夏の甲子園も中止となった5月下旬。一部の3年生が受験勉強に集中するため「引退」の意向を示した。

 「部活動か受験か」。ナインの意見は分かれ、練習の目標を失っていた。その時、岩間涼星主将(3年)が部員一人一人に電話して考えを聞いたり、選手同士の話し合いを開いたりして、互いに意見をぶつけ合った。

 何度も話し合うことで一人も欠けることなく、チームは息を吹き返した。「どんなに苦しい時も、最後までやり切るのが磐高野球部」。チームスローガンであり、何事も一生懸命やるという意味の「プレーハード」の原点に回帰した。心を砕いた岩間主将は安堵(あんど)し、夏の福島大会の代替大会に向けて団結していった。

 吉田強栄校長(58)から10日、吉報を聞いたナイン。練習後のミーティングで、岩間主将は部員を鼓舞。「甲子園で野球をできることに感謝し、練習から意識を高めよう」と力を込めた。

 3月まで同高野球部の監督を務めていた福島商高の木村保教諭(49)は「野球の神様が遅ればせながらご褒美をくれたのかなと思う」と祝福した。

 離任前には部員一人一人にノックをしてセンバツ出場がかなわなかった悔しさを分かち合った。「(センバツや夏の甲子園の中止など)耐え忍んで日々を送ってきた。心の底からうれしいはず」と部員たちが喜ぶ顔を思い浮かべた。

 磐城高OB「一生の思い出、有終の美を」

 1974(昭和49)年の選抜大会に出場した磐城高野球部OBの遠藤浩さん(63)=いわき市=は「一試合はあっという間だと思う。どうか目に焼き付けて、勝利をもぎ取ってほしい」と思いがあふれた。74年に監督を務めた御代田公男さん(82)=同市=は「3年間の集大成として、楽しく思い切りプレーしてほしい」とエールを送った。

 同じくOBで71年夏の甲子園準優勝メンバーである県高野連顧問の宗像治さん(66)は「甲子園の土が踏めることは一生の思い出になる。出場する以上はぜひ勝って有終の美を飾ってほしい」と話した。

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