【スペシャルインタビュー】佐藤浩市さん、渡辺謙さん、若松節朗監督

 
「Fukushima50」撮影時のエピソードを語る(左から)若松節朗監督、佐藤浩市さん、渡辺謙さん=郡山市

 東京電力福島第1原発事故直後の現場で懸命に対応する福島の作業員や技術者を描いた映画「Fukushima50(フクシマフィフティ)」。3月6日の全国公開を前に、当直長として現場を指揮する地元出身の伊崎利夫役を演じた主演の佐藤浩市さん、故吉田昌郎(まさお)所長(当時)役の渡辺謙さん、若松節朗監督が郡山市で、映画の見どころや撮影秘話について語り合った。(司会・編集局次長 佐藤掌)

 ―3月6日の公開日まで1カ月を切りました。今はどんな思いでしょうか。

 若松 映画の企画が動き始めてから5~6年が経過しました。ようやく皆さんに見てもらえる日が来て、まず思うのは原発事故を風化させてはいけないということ。そのためにも、この映画を世界に向けて発信することが大切だと考えています。

 佐藤 東日本大震災とそれに付随するいろいろな出来事、そういう負の遺産を負のままにしないために、映画などの表現活動があるのではないでしょうか。この映画は負の遺産のままにしないという人間の意地みたいなものとして、後世に伝わればいいなと思います。

 渡辺 映画そのものは、自信を持って届けられる作品に仕上がりました。ただ、この映画の一番の当事者である福島県内の方々や、今は県内を離れている方々も含め、どういうふうに見てもらえるのだろうと考えます。そこの覚悟は持たなければならないし、作品の真意がしっかり伝わればいいなと思っています。

 ―原作は重いノンフィクション作品で難しいテーマだったと思います。出演を決めた理由は。

 佐藤 監督やプロデューサーからは最初に「決して偏重はしない」という話がありました。「あの時何が起こったのかを未来にしっかり伝えたい」ということだったので、そういうことならやってみたいと思いました。大局的な見せ方の映画ならこれまでも多かったと思いますが、そうでなく、起こったことをそのまま見せている。その分怖いという感覚もよく伝わるし、これは出演しなくては、と思いました。

 渡辺 これまでも吉田所長をモチーフにしたドキュメンタリー作品などのオファーはいくつかありました。しかし、俳優として何を届けられるのかを考えたとき、事実を伝えることも大事ですが、人間の生きざまみたいなものを映画というフレームでどう伝えていけるか。その意味でこの脚本は素晴らしかった。単に原発の是非を問うのではなく、人間の苦悩や家族に再会できた喜びがよく描かれている。出演を決めたのはこの脚本があったからこそです。

 ―事実を基にしながら、サスペンスのような要素もあり、映画としての醍醐味(だいごみ)も感じられる作品との評価も出ています。

 若松 やはり俳優の力が大きいですね。撮影現場では一致団結していました。特に今回は浩市さんと謙さんが別の場所にいるという豪華な撮影です。2人が交互に出て、それぞれの部下たちがこの上司を見ている。2人のたたずまいが全てですから、迫力に満ち、緊張感がある現場でした。

 ―実在のモデルがいる役を演じる上で意識した点はありますか。

 渡辺 吉田さんのリサーチもやりましたし、当時の映像も見ました。ただ、そのままコピーするより、あの時何に苦しみ、何と闘っていたのか、その精神性をくみ取ることを意識しました。そしてこの映画で大事なのは「中操(中央制御室)に伊崎がいる」という強い信頼感です。(中操と緊急時対策室を結ぶ)赤い電話一本でつながっているだけなんですけどね。

 佐藤 そうですね。この映画の見どころは、長年一緒に仕事をしている吉田所長と伊崎との関係性や信頼感に尽きると思う。

 ―ということは撮影中も、2人はほとんど顔を合わせていない?

 渡辺 そうです。一緒だったのは中操も危なくなって退避してからの後半だけです。中操のところを先に撮影していたから、こちらの撮影が始まる時には浩ちゃんの撮影は終わっていた。「終わったぞ」と言って引き継ぎされて、ものすごい大事なボールを渡された感じがしました。

 若松 しかも、謙さんは中操の撮影現場を見ていないしね。

 渡辺 見なかったですね。でも、実際の現場だって見られない状況でした。電話一本の情報しか知り得ることができない。そこはそのままの緊迫感を持ち込むことができました。そして長い間、僕らはこの業界にいますから、まさに吉田さんと伊崎の関係性と同じように、うまく息が合ったことも良かったと思います。

 佐藤 中操での大変な撮影がやっと終わって「謙さん、後は頼む」と、そんな心境でしたよ(笑)。

 渡辺 私の場合は本店との闘いもありました。本店のシーンも既に撮り終わり、私がいくら怒鳴ろうが平然と答えが返ってくるだけでした。そこは本当に腹が立ちましたので、臨場感は出せたと思います。そういう状況が重なり、実際に近い環境をつくり出せたのではないでしょうか。

 若松 やはり熱いエネルギーが観客に伝わらないといけません。全面マスクをかぶる場面が多かったのでできるだけみんな声を大きくしようと心掛けました。そして5日間という時系列の中で俳優たちはどんどん疲れていって、顔も汚くなっていかないといけない。そこは共有しながら撮影を進めました。そういう俳優たちの姿を見るのは監督冥利(みょうり)に尽きる。最高の気持ちでした。

 渡辺 ほとんどメークしていないよね?

 佐藤 そう、ほぼノーメーク。

 渡辺 撮影中は予習や復習で睡眠時間もあまり取れませんでした。

 若松 謙さんは椅子の座り方がだんだんと深くなっていった。浩市さんは最後の方は床で寝てましたね。それを見た時「俳優ってすごいな」と改めて思いました。

 佐藤 今回は(映画のストーリーに沿った)順撮りでしたから、俳優としては助かりましたね。5日間の出来事を2週間以上かけて撮りましたから、シーンを重ねるたびに自然と気持ちが入っていきました。

 ―原発構内のセットが忠実に再現され、専門用語も飛び交っています。

 若松 そこは一から調べて取材を尽くしました。SBO(全交流電源喪失)など、かなりマニアックな用語も出てきますが、映像上の説明はしていません。そこは雰囲気が伝わればいいかなと。ただし映画はリアリティーが大事ですから、セットにはこだわりました。緊対(緊急時対策室)や中操にある機器は「全て完璧でなければならない」という気持ちで撮影に臨みました。

 ―サプチャン(サプレッションチェンバー、圧力制御室)など言いづらそうなせりふもありますね。

 佐藤 撮影前には中操チームが集まり、物理の勉強をしました。観客の皆さんに何かただならぬことを感じてもらうため、演じるわれわれは意味を分かった上でせりふを言わなければなりません。想定を超える出来事が次々と起こっていく恐怖が伝わればいいのですが。

 若松 私が伝えたいことでいうと吉田所長が相馬民謡「相馬流れ山」を口ずさむシーンがあります。東京から来た人が福島県の民謡を歌うところが狙いなんです。吉田さんの人間性が出せるシーンを何かつくりたいと考え、付け加えました。緊対にいるのは大卒のエリートで、中操は現場のたたき上げ。それでも2人は固い絆で結ばれている。地元を理解している所長だから皆が尊敬しているということが分かるシーンです。

 渡辺 私からは監督に一つだけお願いしたことがありましたね。自衛隊のヘリ放水について「セミの小便だな」と感想を述べるシーンがあります。それは実際に吉田さんが言った言葉で、脚本もその通りでした。しかし震災直後の被災地を回り、不眠不休で頑張る自衛隊の方々を目の当たりにしました。それで「『セミの小便だな』の後に『ありがたいけど』という一言だけ足させてもらえませんか」とお願いしました。

 ―この映画を見る福島県民へメッセージをお願いします。

 若松 今回の映画製作のために県内の方々と話をする機会がたくさんありました。全ての皆さんが一刻も早く元通りの生活に戻れることを願っています。

 佐藤 まさにその通りですね。そして、新しい土地で新しい生活を始めた方々も、早く古里に戻れる状況になってほしいと思います。

 渡辺 福島には海も山もあり、おいしい果物もたくさんあって農産物も海産物も潤沢な地域というイメージです。人や地域が再生できる力を信じてほしいし、きっとこの映画はそのためのエールになる。それぞれの古里を思う気持ちを忘れないため、この映画を届けたいです。

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 佐藤浩市(さとう・こういち) 1960年生まれ、東京都出身。映画初出演の「青春の門」(81年)で日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。「忠臣蔵外伝 四谷怪談」(94年)、「64―ロクヨン―前編」(2016年)で同賞最優秀主演男優賞を受賞した。「THE有頂天ホテル」(06年)、「ザ・マジックアワー」(08年)など話題作に多数出演。近年は「北の桜守」(18年)、「空母いぶき」(19年)など。

 渡辺謙(わたなべ・けん) 1959年生まれ、新潟県出身。ハリウッドデビュー作「ラストサムライ」(2003年)で米アカデミー賞助演男優賞にノミネート。「SAYURI」(05年)、「バットマン ビギンズ」(同)、「硫黄島からの手紙」(06年)、「インセプション」(10年)などハリウッドの話題作に出演。若松節朗監督作品「沈まぬ太陽」(09年)では主演を務めた。3月には舞台「ピサロ」(PARCO劇場)を控える。

 若松節朗(わかまつ・せつろう) 1949年生まれ、秋田市出身。日大芸術学部卒業後、テレビドラマ演出補などを経て共同テレビジョンに入社。ドラマ「振り返れば奴がいる」(93年)、「やまとなでしこ」(2000年)などの演出を手掛けた。映画監督として「ホワイトアウト」(00年)、「沈まぬ太陽」(09年)で日本アカデミー賞優秀監督賞を受賞。このほか監督作は「夜明けの街で」(11年)、「空母いぶき」(19年)など。

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 【ストーリー】2011年3月11日、午後2時46分。雪がちらつく福島第1原発を大きな揺れが襲った。当直長の伊崎利夫が原発の緊急停止を運転員たちに指示する。第1原発の吉田昌郎所長は各所の安全を確認するが、大津波警報も発令され、敷地内の作業員たちに避難が呼び掛けられた。やがて、ものすごい高さの津波が海岸に迫り、建屋の地下にも海水が流れ込み、発電機は水没、停止してしまう。

 このままでは、原子炉の冷却装置が動かず、メルトダウンへと至ってしまう。冷却水は減り続け、原子炉内の燃料が溶け始める。格納容器の圧力も上がり、爆発しかねない状況となった。政府から吉田所長の元に、圧力を抜くベントが指示される。

 高い放射線量を浴び、余震の恐怖と闘いながらも、ベントに挑む運転員たち。しかし突然、1号機原子炉建屋が爆発する。電源は回復せず、注水もままならない中、福島第1原発の運命は、現場の人間たちの決断と勇気、絆に委ねられていく...。

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